リュドミラ音楽・ひとり旅日記

Give every man thy ear, but few thy voice.

Salome @Opernhaus Zuerich 04052014

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私の席からの眺め。

Conductor: Alain Altinoglu
Producer: Sven-Eric Bechtolf

Salome: Nina Stemme
Herodias:Hanna Schwarz
Jochanaan: Evgeny Nikitin
Herodes: Wolfgang Ablinger-Sperrhacke
Narraboth: Benjamin Bernheim
Page der Herodias: Anna Goryachova

サロメ』by リヒャルト・シュトラウス 原案はオスカー・ワイルドの同名の戯曲

あらすじ:物語のもとになっている新約聖書マルコによる福音書では「ヘロデは自分の誕生日の祝に、高官や将校やガリラヤの重立った人たちを招いて宴会を催したが、そこへ、このヘロデヤの娘がはいってきて舞をまい、ヘロデをはじめ列座の人たちを喜ばせた。そこで王はこの少女に「ほしいものはなんでも言いなさい。あなたにあげるから」と言い、さらに「ほしければ、この国の半分でもあげよう」と誓って言った。そこで少女は座をはずして、母に「何をお願いしましょうか」と尋ねると、母は「バプテスマのヨハネの首を」と答えた。するとすぐ、少女は急いで王のところに行って願った、「今すぐに、バプテスマのヨハネの首を盆にのせて、それをいただきとうございます」。王は非常に困ったが、いったん誓ったのと、また列座の人たちの手前、少女の願いを退けることを好まなかった。そこで、王はすぐに衛兵をつかわし、ヨハネの首を持って来るように命じた。衛兵は出て行き、獄中でヨハネの首を切り、盆にのせて持ってきて少女に与え、少女はそれを母にわたした。ヨハネの弟子たちはこのことを聞き、その死体を引き取りにきて、墓に納めた。」
と記述されている。ヘロデアの娘サロメは、戯曲では母の指図ではなく自らがヨハネの首を欲している。より背徳的、官能的な描写になっているのだ。

こちらは再演である。
しかし、この上演にはものすごいキャストがぶっこまれていた。Nina Stemmeのタイトルロールである。彼女の実演は、3年前に観たミラノ・スカラ座ワルキューレ』以来。Stemmeのサロメは、ドイツオペラ好きであれば誰でも見たい、聞きたいものであろう。そして私にはもうひとり、重要なキャストがいた。ヨカナーン役Evgeny Nikitin。彼は昨年チューリヒデビューのはずだった(アンフォルタス)が、自己都合で降板。今回がハウスデビューである。

 

 

舞台は現代? 登場人物の衣装は完全に現代風ではないものの、装置はモダンな邸宅の一室のようだ。両側に大きなソファがある。衣装はそれぞれ白、黒、グレーのさまざまなデザイン。サロメはシルバーのドレス。ヨカナーンも、破れが目立つ黒い衣装。Nikitinにはタトゥがある。だから、黒の衣装の下に薄い白の下着を着ていた。脚にはドーランを塗っていたが、隠せていなかった。ただ両足首に出血しているように血糊がつけてあるし、遠目に見たら打たれた痣に見えなくもなかろう。私は最前列にいたので見えすぎたのだ。
カナーンの地下牢は、舞台の真下からせりあがってくる。4、5台の四角い牢のいくつかを出たり入ったりしながらヨカナーンサロメ、ナラボートが歌う。演じる人によるのかもしれないが、このヨカナーンサロメにみじんも心を動かされない。荒野で呼ばわり、人々に悔い改めを迫る預言者ヨハネそのものだ。
サロメ』でとにかく関心を集めるのは、7つのヴェールの踊りであろう。歌手本人が踊るのか、ダンス以外の表現にするのか、どこまで脱ぐのか(いや、脱がなくてもいいんですけどね、なんかそういうことになってません?)。今回のこの場面、私は非常に気に入った。サロメの踊りはベリーダンスだったという説に忠実に、Stemmeに似た感じのシルエットのダンサーさんが、ベリーダンス風に踊る。黒地に華やかな飾りのついたフェイスベールをしているので、もしかしたらStemme?と見えないこともない。ベリーダンサーによくいる全体にぽっちゃり肉感的で、足首がきゅっとしまったタイプだ。4回お召替えをして、最後に大きなショール(シーツくらいの大きさ)をすっぽりかぶって出てくると、ヘロデに向かって(観客には背中からお尻にかけてななめにもろ肌が見える)裸体を見せるという演出。もうこのダンスがめちゃくちゃに素晴らしくて、終わらないといいなあ、と思ってしまった。ダンサーさんはカテコにちゃんと現れて(フェイスベールなし)大喝采を受けていた。
カナーンの首はこのごろよくある、リアルな作り物ではなく、血に染まった白い布に包まれたものだった。一度も首そのものは出てこない。サロメがくちづけする時も、その布に自分の顔を入れているからだ。
そしてサロメは、ヘロディアスの小姓にナイフで刺されて殺される。ここでサロメは堂々を女王のように小姓のナイフを受け入れる。
ことさらセンセーショナルでもないし、演出家の主張のようなものは感じられない。
つまらない、と言われるかもしれないが、オーセンティックな舞台であり、私は好ましいと思った。

演出的に欠点があるとすれば、ヘロデとサロメのやりとりが下手の壁側のソファで行われるので、R側のボックス席からは見えにくくなるということだ。

Stemmeの歌唱は圧巻であった。この日が楽日ということもあってか、遠慮なくパワー全開。 完璧なフレージング、発声。音楽的には文句のつけようがなかろう。しかしあまり完璧に歌われると「おそれいりました」で終わってしまい、いまひとつ感動がない。サロメには危うさと狂気が欲しい。3月に同演目をボストン交響楽団が演奏した際のタイトルロール、Gun-Brit Barkminはその点が気に入った。演奏そのものはいまいちだったのだが、WGBHのアーカイブ The Boston Symphony Orchestra in Concert に入っているので、ご興味のある方はどうぞ。見た目もかなり麗しいソプラノである。
Stemmeは私にとってはやっぱりブリュンヒルデだな。

Evgeny Nikitinのヨカナーン、しばらく『オランダ人』ばっかし聞いていたので、もうひとつのドイツオペラの当たり役ともいえるこれを実際に聞いてみたかった。鋼の剣のようなまっすぐで輝きのある声とすばらしいドイツ語のディクション。多少の荒っぽさは荒野の預言者を演じるにはぴったりだ。サロメが夢中になる美青年には見えないのはしかたないとして、ちょっと変わった歌い癖があるのには「またか」と思わされたが。
他ではナラボートとヘロディアスの小姓が良かった。もちろんヘロデとヘロディアス夫妻もまったく問題なく聞けた。ナラボートのBenjamin Bernheimはかなり目をひくタイプでもある。ちょうど4月24日のガッティ指揮、フランス国立管弦楽団のTCEでのコンサートで『エディプス王』に出ていた。こちらもアーカイブで聞くことができる。
http://concert.arte.tv/fr/lorchestre-national-de-france-interprete-dutilleux-et-stravinsky

Alain Altinogluの音楽は、私はかなり好きだと思った。エレガントである。退廃的ではないが前述のネルソンス&BSOよりはずっといい。先にも書いたが、私の席は最前列上手側で、金管群の真ん前だった。残念なことにとにかく金管ばかり聞こえたいたもんだから、演奏の全体像をつかんでいたとは言い難い。すまんのー。

ただ言えることは、これも非常な満足感をもって鑑賞を終えられた名演であったということだ。

 

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 Stemmeさま

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ゴールドのジャケットが小姓役Anna Goryachova、はしっこの白い衣装がナラボート

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ちょっとブレてるんだが、そのせいでふたりともきれいに見えるでしょ?