リュドミラ音楽・ひとり旅日記

Give every man thy ear, but few thy voice.

Sergei Prokofiev: Semyon Kotko (Семён Котко)

Semyon Kotko

Semyon Kotko

プロコフィエフのオペラ、『セミョーン・コトコ』(op.81)の2月にメロディアから出たCD。同音源は2003年にシャンドスから*1リマスター版として発売されている。この作品、交響組曲(op.81bis)の録音はけっこう出ているのだが、オペラ全曲としての録音は、このジューコフ指揮モスクワ国立放送響盤とゲルギエフ指揮キーロフ(マリインスキー)*2オペラ盤のふたつしかでていない。
ジューコフは初演の指揮者である。録音年は1960年(初演は1940年6月)。おそらくロシア圏以外で上演されることはないだろうし、このとおり録音も少ないものだ。現在の世界情勢から少なからず考えさせれらるところもあるので、このオペラについてご紹介しておこう。なにより、この曲が私は好きなのだ。

『 セミョーン・コトコ』 by セルゲイ・プロコフィエフ 台本はワレンチン・カターエフとセルゲイ・プロコフィエフによる
原作はワレンチン・カターエフ『わたしは労働者の息子』

あらすじ:1918年、ウクライナ。
ウクライナ農民の息子、セミョーン・コトコは第一次大戦の従軍から故郷の村に戻ってきた。村人は彼を英雄として讃えた。無事に戻ったところで恋人ソフィアと結婚しようとするも、富豪であるソフィアの父トカチェンコはそれを許さない。そこで村長のレメニュクと友人ツァリョフに頼んで、トカチェンコの家に直談判に行ってもらうことにする。もめている最中に突然ドイツ側の役人が物資の供給を求めてやってきたため、婚約の話は頓挫してしまう。その後トカチェンコはドイツ側の手下を使って、ツァリョフを含むボリシェヴィキ寄りの人物を処刑し、反乱を起こす恐れのある人物として、セミョーンを指名手配犯にしてしまう。
セミョーンの家は犯罪者への見せしめとして焼き討ちされてしまった。
彼は村から逃れ、レメニュクらとボリシェヴィキのパルチザンに参加する。
数か月のち、ソフィアが別の人と結婚させられる報とともに、レメニュク宛てに赤軍司令部から、セミョーンの村を攪乱するようにと指令が出た。セミョーンたちはこの作戦の実行に名乗りをあげ、さらに*3ソフィア奪還を図る。
ソフィアの結婚は止めることができたが、セミョーンらは、捕獲され死刑を宣告されてしまう。しかしその時赤軍がドイツ軍を蹴散らして到着した。
セミョーンは釈放され、ソフィアと結ばれることとなり、皆でウクライナの開放を喜ぶのだった。

『セミョーン・コトコ』というタイトルで、プロコフィエフが1940年スタニスラフスキー劇場制作のオペラのシンポジウムのために書いた原稿が、2010年に音楽の友社から刊行された『プロコフィエフ 自伝 / 随想集』に取り上げられている。この作品についての作曲者の意図がわかるものであるから、その一部を転載しておこう。

 ソヴィエトをテーマにしたオペラを書く事は、たやすいことではまったくない。そこでは新しい人々、新しい感情、新しい生活様式を取り扱うので、クラシックのオペラに対応できるたくさんの形式は、不適当ということになるかもしれない。たとえばソヴィエトで村長が歌うアリアは、作曲者側がほんの少しでも不器用であったら、聞き手をはなはだしく当惑させるだろう。電話をする警官のレチタティーヴォなども誤解されやすい。わたしは長い間ソヴィエトのオペラを書きたいと思っていたが、その仕事にどうやって取りかかるべきかがはっきりとわかるまで、引き受けるのに躊躇した。それにあらすじを見つけるのも楽ではなかった。ありふれていて、活気のないあらすじや、逆に道徳観を露骨にあらわすようなあらすじも嫌だった。肉と血でできた生きた人間、その人間の感情、愛、憎しみ、喜びそして悲しみが、新しい状況の中から自然に湧き上るものを探していた。
ヴァレンチン・カターエフの物語「わたしは労働者の息子」にわたしが興味を持ったのはまさにここに理由がある。それは多くの対照的な要素を結合させている。若者たちの恋、古い世界を代表する者たちの憎悪感、奮闘することの英雄性、死者への哀悼、ウクライナ人特有のとても豊かなユーモア。カターエフの登場人物はとても生き生きとしていて、それが一番大切なことなのである。彼らは喜び、嘆き、笑い、泣く。これが、わたしがオペラ『セミョーン・コトコ』で、カターエフのストーリーから描きたかった人生なのである。ー略ー

レチタティーヴォはオペラでも最も面白くない要素なので避けた。より感情的な場面では、物語るようなメロディに作り上げながら、レチタティーヴォを旋律的にするよう試みた、一方、より”現実的”な場面では、リズム感に富む話し方を使った。オペラで話すのはとても古い伝統である。モーツァルトのアリアとアンサンブルには、たえず話す場面が混じっている。それでもやはり、歌う間に話すのはいつも快いわけではないだろうと思う、わたしは、朗唱の性質を持ったリズム感のあるスピーチを入れることにした、各箇所で、歌から話への変化が自然に聞こえるようにわたしは努力をした。うまくいったとことでは聴衆がその変化にすら気づかなかった。わたしが達成したいと思っていたのはまさにそれだった。
わたしはすべての音楽作品において、メロディが基本的な要素のひとつと信じているので、『セミョーン・コトコ』のメロディに特別な注意を払った。どんなメロディでもそのデザインが親しみ深いものだったら覚えやすい。一方、もしデザインが新しい場合、そのメロディを聴衆が何度も繰り返して聞くまで、それ自体では印象的に聞こえない。ー後略ー

*プロコフィエフ 自伝 / 随想集 セルゲイ・プロコフィエフ著 田代 薫訳 音楽の友社 2010年10月15日第1刷発行

『セミョーン・コトコ』の冒頭から繰り返し出てくる主題のひとつは、ノスタルジックでフォークロリックである。ウクライナの風景を叙情的に描いている一方、ドイツ軍の侵攻を表現するものは、危機感と不安をあおる音型だ。
各場面は映画のように、音楽で的確に表されている。そのメロディがあまりに写実的であるために、逆に舞台演出の自由度が低くなってしまうのではないかとすら思われる。
『炎の天使』などを聴いて、どうも苦手、と考えている方にもこの作品はぜひ聴いてみてください、とおすすめする。

メロディアのジューコフ盤と比べると、ゲルギエフ盤はかなりテンポが速い。私は速めのほうが好みなので、ジューコフ盤を聴くとまるで別の曲のような印象すらもってしまう。

ちょっときいてみようかな、と思われた方はためしにyoutubeにアップしたものを聴いてみてください。⇒⇒⇒ココ 

そして、これについてはまだこれから書こうとしていることがある。*4気長にお待ちを。

 

*1:原盤はメロディア

*2:フィリップス、2000年6月発売。スターリンがイデオロギー的に問題があるとみなしたため、めったに上演されなかったこのオペラ、新演出版が99年の白夜祭に上演されている。これはその録音。2014年5月13・14日にもマリインスキー劇場は白夜祭のプログラムとしてこのプロダクションを上演した。内戦時のウクライナが舞台なのでなぜ今と思われたかもしれないが、音楽は政治的な内容を乗り越えられること、こういう作品がロシア史の一部であることを強調していたというゲルギエフの姿勢であったかと私は考える。

*3:教会に手榴弾を投げ込むとか物騒きわまりない

*4:誰も待ってないか…