リュドミラ音楽・ひとり旅日記

Give every man thy ear, but few thy voice.

Il Prigioniero @Gran Teatre del Liceu 27062014

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                @Antonio Bofill

『囚われ人』by ルイージ・ダラピッコラ 原作はヴィリエ・ド・リラダン「希望による拷問」リブレットはこちら⇒⇒⇒

あらすじ:囚われ人の母が、毎夜彼女に取り憑いている悪夢について物語る。それは恐ろしい独裁者の姿、フェリペ2世。

囚われ人は、サラゴッサにあるスペインの宗教裁判所の地下牢に政治犯として収監されている。そこで最後の面会となるであろう母と息子の対面。囚われ人は牢のなかで唯一会う事の許されている看守の「*1Fratello」という呼びかけが、彼にかすかな希望の光を与えていると語る。看守は彼のもとにやってきて、フランドルでのスペインの独裁に対する抵抗が成功したと話し、希望を持つようにとすすめる。そして、看守はわざと扉を開けたまま出て行く。囚われ人は、望む自由に達するために、暗い通路を歩きついに大きな庭の中に駆け出す。開放されたとみえたが、そこに現れたのは*2異端宗教裁判所長であった。彼は囚われ人にとっての希望の言葉「Fratello」と語りかける。再び囚われた者には、死による以外、自由に至る道はない。

Il Prigioniero: Evgeny Nikitin
La Madre: Jeanne-Michèle Charbonnet
Il Carcerire / Il Grande Inquisitore: Robert Brubaker
Sacerdote 1: Albert Casals
Sacerdote 2: Toni Marsol

Conductor: Edmon Colomer
Director: Lluís Pasqual
Symphony Orchestra and Chorus of the Gran Teatre del Liceu

 27日の2回目の鑑賞はバルセロナ在住Aさんとご一緒した。
開演45分前から、ホワイエで解説があるというので聴講しようじゃないかとそちらにも参加した。結局カタルーニャ語での解説だったので、人名以外まったく分からなかったのだが、作品解説がどのように行われるかということ’だけ’はわかったので、それはそれでいい経験だった。

きっぷはAさんとは別々に買ったのに、1列目のお隣同士の席になり、ラッキー。はじっこなのだが、見やすくていい席だった。リセウ大劇場の字幕は、舞台の上部に出るもの(カタルーニャ語)と、シートに個別についているもの(こちらは英語に切り換えができる)がある。字幕を読んでいたら舞台が見えないので、これはまあ使い物にならないとみていいだろう。前方の席では舞台上部の字幕も見えないし、第一現地語なんて無理だ。

のっけから、母の絶叫調のモノローグから始まるこの作品は、最初から最後まで、全身を締め上げられるような緊張感と焦燥感が連続する。とはいえ比較的調性感もあり、全体を通して統一感のあるアーティキュレーションで、この手のものとしては聴きやすいのではないかと思う。

プロローグと第一場までの間に、舞台では牢獄の中での囚われ人への拷問*3が繰り広げられる。そして第一場は痛めつけられた囚われ人が回り舞台に倒れた格好で出てくるところから始まる。対面しているというより、それぞれ一人語りしているような母と息子。けして二重唱なんぞにはならないのだ。ここで看守について語る囚われ人の歌うフレーズに、この作品の最も象徴的かつ印象的な「Fratello(F-E-C#)」*4の音型が出てくる。これは看守が囚われ人に語りかける言葉なので、それを模する囚われ人もテノールの高音で歌うのだ。
またこの時、囚われ人は「筆舌に尽くし難いこれらの拷問のあとで…私の身体には、彼らの残虐な記録が残ってしまった…」と語る。これがNikitinをその身体の素のままで舞台に上げる理由かなと思った。物議を醸す彼の全身のタトゥは、まさに拷問の生々しい傷跡にしか見えないのだ。

そして看守が登場し、フランドルの抵抗について語る場面、舞台下手の床からディスプレイが出てきて、あのフィルムは何のだろう?フランコ政権への抵抗の様子だろうか、そういう映像を見せられる。
いつの間にか、手足の縛めも緩んでいた。看守に希望をもたされた囚われ人は痛めた脚をひきずりながら牢の外を目指して出て行く。回り舞台と円形に作られた檻に付けられてらせん階段。この装置は、実に効果的だ。リブレットに描かれた場面を立体的に見せることができる。
最終場、明るく照らされた中央に出てきた囚われ人は、神を讃えてアレルヤと歌う。両手に白い砂を握り、それを落としながら。その背後に看守=宗教裁判所長が現れる。
彼は一瞬にして死刑執行官の白衣に代わり、この舞台では囚われ人は火刑ではなく薬殺される。ベッドに縛り付けられて、今際に「La Liberta? 自由、ですって?」という問いかけに終わる。

プロローグと第一場までは母の歌唱の分量が多いが、ほかは圧倒的に歌唱、演技ともに囚われ人の負担が大きい。演技についてはいつものNikitinなのだったが、歌唱については申し分なかったと思う。非常に丁寧なフレージングと、表現。かなりショッキングな見た目にもかかわらず、エレガントでヒロイックな声のおかげでまったく下品にならない。
看守のRobert Brubakerも、こちらは調性感のある偽善的な旋律をそれとぴったりの声で歌っていた。主要三役はいずれも素晴らしいパフォーマンスであったと思う。
実際にこの舞台を目にする前は、いろいろ考えて、もしかしたら泣いてしまうかも…なんて思っていたのだが、とんでもなかった。この緊張感と求心力たるや凄まじいもので、何度でも見たいし、聴きたいと思った。
25日の公演では、残念ながら観客の戸惑いがまるわかりのカーテンコールだったのだが、この日はブラボーもとんで、拍手も多かった。

カテコの写真は私のは全滅(というより緊張で手が震えて撮れない)だったが、Aさんが撮ってくださった。

(写真はクリックで拡大します)

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Brubaker, Charbonnet, Nikitin, CasalsかMarsolのどちらか

長くなったので、『修道女アンジェリカ』は別項にする。

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ダブルビル公演の場合、ひとつめの上演の後にカテコがあって、そちらの出演者は先に出てしまうのが通常だ。この公演では間に30分の休憩*5があった。
リセウの楽屋口はランブラスに面した劇場入口の並びにあるチケット売場と同じ場所。
上演が終わってすぐそちらに出て行くと、合唱の皆さんがすでに出てきていた。
その場で盛大に喫煙が始まるので、待っているのはつらいものがある。でもここで何人かが「Fratello〜♪」と歌っているのを聞いて、ちょっとほんわかした気分でいた。
待ち人も、すごい*6早さで出てきた。またもや「出待ち」は私たちだけ(Aさん、お付き合いくださってほんとうにありがとう)で、ちょっと困りごとがあった割にはゴキゲンさんな彼と、この後のめちゃくちゃ忙しいスケジュールの話など。舞台を降りると、ほんとにかわいい、気のいい兄ちゃん(という年ではないか)なのだ。

 

*1:英語字幕ではそのままbrotherと訳されていたが、同胞の別の意味である「友」のほうがしっくりくるかな、と思う

*2:看守との二役

*3:もちろん逆さ吊りにされたりしているのはボディダブルなのだが、よく似た人を使っているから、ぎくっとしてしまう…あんなでかいひと吊ったらロープが切れる

*4:終演後、楽屋口外にたまってタバコを吸いまくっていた合唱団の面々も鼻歌でこのフレーズを繰り返していた。それほど耳にも残るものなのだ

*5:トータルのランニングタイムは全部含んでのもの

*6:顔につけてた血糊をとって着替えて出てきただけだなこりゃ