リュドミラ音楽・ひとり旅日記

Give every man thy ear, but few thy voice.

Die große Stille (2005): 大いなる沈黙へ グランド・シャルトルーズ修道院

修道院文化に関心を持つ身としては、絶対はずせないでしょう…と観に出かけたはいいけれど、いつも観客7人とかの映画ばかしなのに、これはなんと70人超え!
びっくりした。たしかに変わったドキュメンタリーではある。修道院側に要請により、ナレーションなし、聖歌以外の音楽なし、照明なし、Philip Gröning監督が修道士たちと起居を共にしながらカメラを回す。
淡々と営まれる修道院の毎日が四季を通じて映し出されるだけだ*1
最初に修道院に取材を申し入れたのが1984年、映画の完成が2005年。さらに日本公開が今年。30年近く経ってる。修道院に16年待たされたというが、彼らが言う「準備」とは何だったのだろう。

 

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 「祈りと労働」に明け暮れる共同生活をおくるのがカトリック教会の修道院。各国、修道会でさまざまな修行スタイルがある。このグランド・シャルトルーズ修道院は、厳格な戒律で知られるカルトジオ会の修道院、とのことだが、フィルム上に広がるここでの生活は、ひたすら静かで穏やかであり、「厳しさ」というものは感じられない。
各自独立した房に住み、日曜日の昼食*2後の散歩では仲間と会話をすることができる。家族との面会は1年に2度。聖務日課は厳密に守られている。
八定時課を守るのと決められた日課の*3ほかの時間は、各自読書をしたり、歌を歌ってみたり、文字を書いていたり、と過ごしている。
聞こえるのは木々をわたる風の音、鳥の声、カウベル、雨や雪の降る自然の音。
たしかに、自分のものはほとんどなにも持たず、人との関わりも極端に少ない。しかし、これは「厳しい」ことなのだろうか。
もしかしたら、これは究極の自由と幸福なのではないか。
何かを求める欲望から開放されている自由。そして、この中で唯一インタビューのようになっている、盲目の修道士の話していた「神に近づく幸福」がある。
合間合間に映し出される修道士たちの顔も静かで穏やかだ。
盲目の修道士が丁寧に話す言葉。「神は絶対的な善であり、神がなされることは全て魂をよくするためになされる。死を怖れる必要はない、それは神に近づくことだからだ。」
フィルムは一人の修道士の祈る姿で、始まり、終わる。
ナレーションの代わりは聖書の中の数節。
世界はこのような祈りで支えられている、と感じるものであった。

*1:それで3時間近い長さ。寝ないで観ていた人はいただろうか?終わったとたんに席を立つ人の多かったこと。

*2:食事の間は修道会の戒律が読み上げられている

*3:完全に個人の時間は2、3時間程