リュドミラ音楽・ひとり旅日記

Give every man thy ear, but few thy voice.

Parsifal at NNTT 05102014

f:id:Lyudmila:20141006210136j:plain

Bühnenweihfestspiel PARSIFAL

Amfortas: Eglis silins
Titurel: Hasegawa Akira
Gurnemanz: John Tomlinson
Parsifal: Christian Franz
Klingsor: Robert Bork
Kundry: Evelyn Herlitzius

Conductor: Iimori Taijiro
Orchestra: Tokyo Philharmonic Orchestra
Chorus: New National Theatre Chorus
Production: Harry Kupfer

 今回のHarry Kupfer演出『パルジファル』の舞台を見て受けた印象は、「仏教の循環性とキリスト教の直線性の融合」。

舞台の始まりから、奥に三人の僧侶の姿がある。
光の道に横たわるアンフォルタス、パルジファルは天路歴程の半ばで倒れた巡礼の姿とも、孤独な修行の姿とも見える。
『パルジファル』の中心に据えられているのは、「聖金曜日の奇跡」であり、またクンドリの受けた呪い(あるいは自責の念から自分に課した苦行ともいえる)も「主の受難」の場面から始まる。さらに西洋では四旬節から復活節にかけて上演が多いことから、キリスト教的な作品と捉えられているだろう。
しかし、モチーフとなるアーサー王伝説の聖杯探究の旅も、もともとは土着的、異教的な色彩が濃いものだ。
クンドリの多生性もあきらかに輪廻の思想であるし、これは聖杯探究には出てこないモチーフだ。
さらに晩年のワーグナーが、インド哲学や仏教に*1傾倒していたということから考えると、『パルジファル』という作品における宗教観は超教派的なものではないかと思う。

私が所属しているプロテスタント教会は、今はだいぶ下火になってしまっているエキュメニカル運動の急先鋒で、本来のキリスト教会内での教派を超えるのみならず、仏教とも積極的に交流を図ろうとしていた。

また、お世話になった宣教師の先生のお葬式で、喪主の席にいたのは*2外国人僧侶だった。
だから私はこの舞台を見て、宗教のスイッチとか読み替えだとは思わなかった。
『荒地』の具現化であり、違う意味で超教派な演出だったMETの同作品よりわかりやすかったのではなかろうか。
舞台装置は大がかりではあるが、虚仮威しにすぎず、やや古臭いデザインのように見えたのだが、これは私の席が悪かったようだ。2階以上からの眺めは相当迫力があったときいた。
演技付けは、この前のベルリン国立歌劇場のプロダクションと同じようなとこがあるから、そういう定型としてあるのかな。
クリングゾルの魔法の花園のところだけはちょっといただけなかった。舞台にはout of dateな衣装のダンサーが数人で踊るだけで、花の乙女役の歌手たちはそこにいない。私の位置からだと、上方から声が聞こえ、時々ピットの奥から聞こえるという…。この場面、もしや…手抜き?
その他音響面でも問題があったので、この舞台は2階か3階のセンターで鑑賞するのが得策であったのだろう。
1階前方席とった私は損だったわ~。これからきっぷ買う方がもしいたら、上階の席をお勧めする。

演奏については、どうしても途中で眠くなってしまうような…。なんだか省エネでエコな演奏…。
いえもう日本のオケとしてはかなり頑張っていたでしょう。お疲れさまでした。
長丁場をゆっくり優しく進んでく、てかんじ。場所のせいか、バスクラとかファゴットの音がすごくよく聞こえた。
歌手陣はたいていの評価どおり、Evelyn Herlitziusの独擅場。彼女こそ歌う女優。*3
2幕の始まりで、例によってクンドリはくねくねしながら歌うところ、赤い衣装の下に見える黒いパンツと白い脚が、とんでもなく色っぽい。
「え、これ、いいの?すごいサービス!」とか喜んじゃったのは、私だけ?
彼女については、徹頭徹尾力強い発声と丁寧な歌唱、見た目もきれいで言うことなし。
グルネマンツのJohn Tomlinsonには、たまたまだがここ6年ほどの間に3回当たっている。
いずれもとんでもない大声で威圧感ある人だなあという印象だった。今回も大声は相変わらずだったが、
ご高齢者特有のピッチの揺れがひどく、ああ、じーちゃんになってしまったのだな…と。
なんとなくゆかいなおじーちゃんみたいな雰囲気で、例えばすっかりグルネマンツの第一人者になってしまったRene Papeに比べると、愛嬌があって威厳があるところがちっとも感じられなかった。
ただ救世主である清らかな愚か者に遭った喜びを、素直に表している様子には心が温かくなった。
タイトルロールのChristian Franzは、わざと?すごい坊さんっぽく見えた。歌唱は普通。
覚醒後もあまり変化が感じられなかったので、感慨というほどのものはなし。
かわいいなあと思ったのは、1幕でアンフォルタスが出てきた時に物珍しそうにする様子がほんとに子供のようだったとこ。
アンフォルタスは声が少々苦手なタイプのSilinsなので覚悟していたのだが、クリングゾルのBorkともどもこれといって瑕疵のない安定感があった。それ以上でもそれ以下でもない。
新国立劇場の合唱や日本人キャストは(一部いただけない音響的処理があったとしても)、相変わらず上手いもんであった。

ともあれ、日本の劇場単独プロダクションでこれほどの作品が上演されるのは、素晴らしいことだと思う。

追記: Parsifal の Leitmotivのうち「鐘の動機」について、急に気になって調べていたらおもしろいものに行きあたった。現状ではこの動機の演奏は電子音が多いのだが、もとはどういうものを使っていたのだろうかと。
なんでこのことを今まで気にしなかったのだろうかと、自分でも不思議。あれほど惹かれる音型なのに。
初演当時、ワーグナーがピアノメーカーsteingraeber&Shoeneに依頼したのは、縦型の箱状のものだったらしい。その後1927年の上演のために造られたすごい楽器が昨年復元されて(一部だけど)いる。



Gralsglocken für Richard Wagner - YouTube

 

*1:もしワーグナーがこの後も生きていたら、おそらく仏教がテーマのオペラを書いただろう、と指揮者の飯守氏が話していたときいたことがある

*2:カナダ人の先生の息子さんは仏教に帰依し、出家なさっていた 

*3:今年のドイツ演劇賞 Der Faust2014
Sängerdarstellerin Musiktheater部門のノミネーなのだ