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リュドミラ音楽・ひとり旅日記

Give every man thy ear, but few thy voice.

The New Rijksmuseum: みんなのアムステルダム国立美術館へ

film

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前作、『ようこそアムステルダム国立美術館へ』の続編…というか、2013年4月についに改修工事を終えて再開したアムステルダム、ライクスミュージアムの閉館していた10年間のドキュメンタリーのまとめ作品。
よくぞ記録しておいてくださいました、という内容だと思う。
監督自身もこれほどの長さと混乱が続くとは想定していなかっただろう。
建築家、内装業者、美術館の職員たちのキャラの立っていること尋常ではなく、彼らは役者で、*1 映画もフィクションなんじゃないかと思えるくらいのドラマ性だ。

近隣の市民との騒動は主にサイクリスト協会からのエントランスのデザインについての執拗なクレームだ。
建物や収蔵品は美術館のものではなく、国、あるいは市民の(つまりみんなの)財産である、ということは職員も承知している。
意見を最大限に受け入れるべく努力しても、公聴会ではなぜか重箱の隅をつつかれる。
国民性なのだろうけど*2、日本人から見るとどっかで妥協したら話は早いし、工事も早いから、どうにかすればいいのにとあきれてしまう。
最終的に時間を喰っていた、収蔵品の展示の仕方や内装についてのこだわりのほうが、美術館的美観と美学という点で理解できる。
これに関わってか、館長の交代劇などもある。
おもに「建物」についての事柄が多い中、時々映される修復室の作業も興味深かった。
一点一点丹念に手を入れられ、甦る美術品が、展示されている時よりも生き生きと目にうつる。
また、かなりの分量を割かれていた、アジア館学芸員のメンノ・フィツキ部長の収蔵品への愛が感動的だ。ライデン大学で日本語と日本文化を学んだというプロフィールのフィツキ氏は、しまいこまれたままの仏像たちに日の目を見せたいと目を潤ませる。彼が日本の山寺から引き受けた仁王像、美術館でそのための安置式を僧侶を招んでしている場面にも驚いた。
もとのあるべき姿、仏像として尊ぶ姿勢とこれほどの敬意を私たちは持っているだろうか。

私が初めてライクスミュージアムに行ったのは昨年の9月。再オープンして半年も経っていない時期だった。
中の大きさをいまひとつわかっておらず、自分の好きな中世美術と見なくてはいけないレンブラントなどをひととおり眺めただけだ。
今年は行こうと思えば時間はあったのだが、疲れてしまってトラムに乗る元気もなくて行かずじまい。次回訪れる時には、アジア館と今年オープンしたフィリップス館も見なくては。必ず行こう!と映画を観終わって思った。

 あまり映画をたくさん見るわけではないが、ドキュメンタリーが好きで今年はけっこう見に行った。
その中で一番良かったのは翻訳家スヴェトラーナ・ガイヤーのドキュメンタリー『ドストエフスキーと愛に生きる』だった。

*1:膨大な記録フィルムを編集する技術とセンスのせいもあるだろう

*2:いや、聴いてるライクスの職員側もうんざりしているからちがうのか