リュドミラ音楽・ひとり旅日記

Give every man thy ear, but few thy voice.

Der fliegende Holländer at Semperoper Dresden 21062015

1843年1月、《さまよえるオランダ人》はここドレスデンのザクセン州立歌劇場で初演された。以来この作品がここでかかったことはそう多くない。プログラム冊子の記載によると1862, 1871, 1879,1917, 1933, 1943, 1951, 1963, 1988, 2000, 2013の11回だ。*1

今回のプロダクションは2013年プレミエ。

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Musikalische Leitung: Constantin Trinks
Inszenierung: Florence Klepper
Chor: Jörn Hinnerk Andersen
Dramaturgie: Sophie Becker

Daland: Georg Zeppenfeld
Senta: Christiane Libor
Erick: Tomislav Muzek
Mary: Tichina Vaughn 
Der Steuermann Dalands: Timothy Oliver
Der Holländer: Evgeny Nikitin

Sächsischer staatsopernchor Dresden
Chor der Mannschaft des fliegende Holländers: Vocalensemble der Theodore Gouvy Gesellschaft e.V.

* 休憩なし一幕構成。救済の動機あり

 序曲が演奏されている間、舞台にいるのは赤毛の少女。彼女が見ているのは葬列だ。誰が葬られるのかわからない*2
短い草と細い立ち木が生える荒涼とした土地に、喪服の人々と司祭が歩いて行く。
幕が始まっても、船らしいものは少しも描かれない。船員というよりお魚屋さんみたいな男達。歌われている内容とどうもしっくりこない。
ダーラントはあまりかんじがよくない人物で、ゼンタのことを可愛がっているのではなく、虐待しているようだ。都合良く娘を売る相手が見つかったのを喜んでいる。
オランダ人も船乗りには見えない。登場の時点ではなぜか左腕に翼がある。彼がさまよっているのは、海ではなく空とみえる。しかも、たったひとりで。実際背景もいつも鳥の影が映る空なのだ。
一幕の舞台を音楽なしで見たとしたら、《さまよえるオランダ人》ではなく《ピーター・グライムズ》に見えるな、と思った。
糸紡ぎの場面では、娘たちはみんな全く同じ拵えをしている。学校の制服のようなチェックのジャンパースカートに、金髪ボブのカツラ。そしておなかがふくらんでいる。中央に一台のベッド。そこで彼女らは次々に出産してくのだ。少女のゼンタは赤ちゃんをベッドの中から取り出して積み上げていく。これがほんとうに不気味。
ゼンタはここでも異質。少女たちは、生まれた土地で結婚し、なんの疑問も持たずに子供たちを生み育てていく、この大前提にゼンタは必死で抵抗している。
彼女はオランダ人の物語に取り憑かれているのではなく、自立と自由への希求がある。そのアイコンがさまよえるオランダ人なのだ。
舞台上ではいっさいのぶれがなく、常に焦点はゼンタに当たっている。オランダ人の影のうすいこと。エリックに至ってはいてもいなくてもどうでもいい状態だった。彼はちゃんと猟師の格好をしていた。
終幕ではまたお葬式なのか結婚式なのかわからないような、教会の式の風景。
異界への扉があり、行き来をするのはゼンタの空想のなかの者たちのようだ。
最後に彼女は、トランクを下げてどこかへ出かける。オランダ人を救ったのではなく、因習の世界から自分自身を開放したのだろう。その光景を少女のゼンタは見つめている。
物語はすべてゼンタの妄想だったとして描く演出はあるけれど、ここまでゼンタの内面として描く舞台は珍しいんじゃないかと思う。
演出家は、よく言われるようにゼンタが精神的に問題があるというようには考えていない。異常なのは(あるいはゼンタにとって異常に見えるのは)彼女の周囲の人々なのだ。
コンセプトは斬新かもしれない。しかし非常にわかりにくく、先にも書いたように音楽と一致しないため、今なにを舞台上で表現しようとしているのか、と考えているうちに終わってしまう…。一度見ただけではきっとダメだな。

若い指揮者Constantin Trinksの名前を見たとき知らんわ〜と思ったが、調べてみたら新国立劇場によく登場していた。私も《タンホイザー》で聴いていた。
テンポ感もアーティキュレーションも尋常で、力強い音楽つくり。オケの実力もあり、安心して聴ける内容だった…と思う。ずっと演出に気をとられていて、私が落ち着いてきいていたとは言い難いのだ。
3年前の新国立劇場での《オランダ人》にも、Nikitinと共演していたTomislav Muzek は、こちらのほうがのびのびしてよかった。
ゼンタは大ウケだった。バラードの時点から徐々に終わりに向かって音量を上げていく技術がみごとで、ヒステリックな音がひとつもない。最後の大音量がすごかった。彼女自身もものすごく大きく見え、この演出のコンセプトにはぴったり合っていたのじゃないか。
安定のZeppenfeld と、不安定のTimothy Oliver がいいコンビネーションだった。
合唱も相変わらず優秀。幽霊船側の外注合唱は、いっさい舞台に出てこないのもあって、なんとなく違和感があった。
さてタイトルロールであるが、これはいつもと変わらないソリッドで丁寧な歌唱だった。演出上、あまりよけいな演技もついていないし、歌唱に集中できていたのではないかと思う。この劇場で響くポイントが、もしかするとまだつかめなかったのかもしれない。
すごく柔らかく響く声の位置があるのだけど、それが聴こえなかったのは残念。とにかく[ここで]歌いおおせたのは、ほんとうによかった。
カーテンコールではやはりゼンタとダーランドが絶大な拍手をもらっていた。

 

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私がどうしてもドレスデンに行かなければならなかった理由、おわかりの方はいるだろうか。
忘れてもらった方がいいのだが、三年前のバイロイト音楽祭《さまよえるオランダ人》の降板事件に関わってのことだ。
彼がここで歌うということは、逆手に取られる可能性のある武器ひとつ携えて敵陣に乗りこむのと同じことだ。少なくとも私にはそう考えられた。誰かがいっしょにいてくれればいいのに、どうもその様子がない。ただ仕事としてあることなんだから、なんともないことかもしれない。でも、もしかして、そこですごく辛いめに彼が遭ったとしたら、と思うといてもたってもいられなかったのだ*3

ゼンパーオーパーの楽屋口も少々わかりにくい。
劇場向かって左手、アルテマイスター側に階段がある。そこをおりてこの表示があるすぐ横の扉だ。

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ここにいるのはたいてい楽団の人のお迎えの人たちだ。サインをもらいに待っている人もちらほらはいる。終演は21時30分で、この時期はまだ外は明るかった。
私の favourite は、いつものように素早く出てきて私をみとめると「元気だったか?」と一言。いることを確信していたのか驚きはしなかった。
表情がかたく、疲れきっているように見えた。話すのもしんどそうな様子に、どんなに緊張して舞台をつとめたのかと考えると、かわいそうで涙が出そうだった。
ひとり「よかったよ」と声をかけてサインを求めに追いかけてきてくれたおばさまがいて、彼女にはにこっとしていたので、その瞬間はほっとした。マダム、ありがとう〜〜〜!
とにかく私も義務*4は果たせた。これ以上の馬鹿げたことはもうしない…だろうと思う。

 

*1:プロダクションとしては10個ある

*2:遺影がダーラントのようではあった

*3:今年私は職場が変わったのだが、もしそのままだったら仕事のスケジュール上、6月に行くのはまず無理だった。これも天の采配と思われた

*4:と勝手に考えているのだ