リュドミラ音楽・ひとり旅日記

Give every man thy ear, but few thy voice.

Vladimir Jurowski, 上演作品に関する解説2:ボリス・ゴドゥノフについて


今回は《ボリス・ゴドゥノフ》初稿による再構成版についての解説です。《ボリス・ゴドゥノフ》の初稿版も、Histricaly informed Performanceも好きな私がたいへん興味を持った上演でしたから、ユロ兄のこの演奏に関しての考え方を知ることができたのは、とても嬉しいことです。私が初稿版に対して考えていること(原典<改訂>版より優れている)に対して明確な答えを得ることができました。
前エントリと同じく無断転載はご遠慮ください。

追記:簡単に版の説明

ムソルグスキーの《ボリス・ゴドゥノフ》には様々な版がある。ここで初稿版(あるいは第一版)と言われているものは、1869年に発表された最初の版のこと。
上演拒否されたため、その後1872年に改訂版が出された。近年まではその改訂版のリムスキー=コルサコフの編曲版がよく演奏されたいた。 場面の入れ替えがあったりするが、初稿とその後の版の大きな違いは「ポーランドの幕」のあるなし。
初稿には「ポーランドの幕」がないため、ここでユロ兄が言っているとおり、皇帝ボリスの運命に焦点がしぼられている。もちろん「ボリスの死」で終わる。
ここ10年くらいは初稿版が上演されることも多くなってきた。マリインスキー劇場は初稿版と改訂版の両方のプロダクションを持っているので、サンクトペテルブルクで鑑賞されたい方はスケジュールをしっかり見てバージョン確認をされることをおすすめする。

《ボリス・ゴドゥノフ》について

私はずっと以前から《ボリス・ゴドゥノフ》の初稿版を演奏したかった。それもムソルグスキー時代に演奏に使われたであろう楽器で演奏したかった。実は、初稿版は1896 年にも1874年にも演奏されることがなかった。初稿版の上演が拒否された後、ムソルグスキーは改訂版を作成し、作品の場面の一部を取り除いたり、逆に追加したり、管弦楽用楽曲の編曲を行った。
その初稿版は、後に「予備版」と名付けられて、20世紀20年代に初めて上演された。その時には管弦楽器もだいぶ変わった。
ここ十年、昔の音楽作品を古典的な楽器、とりわけバロックの楽器をもって演奏することが流行している。すでに19世紀に演奏に使われた楽器と同じものでヴェルディ、ワーグナー、ウェーバー、マイアベーアのオペラが演奏された。
音楽劇だけでなく、交響楽団においても素晴らしい革新者だったムソルグスキーは、先に言及した作曲家たちと同様に「ピリオド楽器」で演奏するのにふさわしいと思う。

我々は、このプロジェクトをまず音楽的視点から進めはじめた。当時の楽器で一度も演奏されなかった《ボリス・ゴドゥノフ》の初稿版を実際に演奏するということを考えた。しかし練習の段階で、ただ単に燕尾服やイブニングドレスを身につけてステージに立つだけでは、そのオペラを演じることが不可能だとわかった。ある意味でそれはムソルグスキーの考えに反するということが分かった。
そこで、文学と音楽を合わせて楽曲を作るというアイデアが生まれた。幸いに、このオペラは7場しかない中規模な作品である。我々は舞台要素としてそのオペラに一貫したニコライ・カラムジン作「ロシア国家史」の一節を使うことにした。それは私自身のアイデアではなく、演出家ヴィターリー・フィオルコーフスキーが考えたことだ。私もそれが気に入って、結局《ボリス・ゴドゥノフ》という作品の現代的な解釈による舞台演出と、歴史的なアプローチによる音楽の演奏、つまり両面を合わせた非常に興味深い混合作品が出来上がった。

(質問に答えて)楽譜にはいかなる変更もしなかった。ただし歌手の声の聴こえを改善するために、会場のミハイロフスキー劇場の音響状態を考慮し、いくらかのニュアンス付けを行った。更にムソルグスキーの不器用で非古典的な楽譜はあえて完璧なもので、そしていかなる改善も必要ないという私の推測に確証を得た。
ムソルグスキー音楽は、現代楽器ではなく作曲家の時代の楽器で演奏される時に、オーケストラ内で発生する演奏のバランス問題が自然に解決されてしまう。
私が思うには、我々視聴者は20世紀の音楽に育成されてきたので、音楽を聴く耳が多少変化した。21世紀の10年代にはオーケストラを受け入れる感覚が変わってしまうと思う。 
入り交じっていない清らかなムソルグスキーの音色と音楽作法は間違いなく、ベルリオーズ、リムスキー=コルサコフ、ワーグナーのオーケストラによる古典的楽器編成法に反するものだと思う。しかし、ムソルグスキーの音楽は、イゴリ・ストラヴィンスキーのオーケストラとクルシェネクのオーケストラとたくさんの共通点がある。セルゲイ・プロコフィエフもムソルグスキーから多くのことを学んだ。
ムソルグスキーはフランスの印象派や20世紀音楽の先駆者であると思う。

(質問に答えて)その作品の第一版は第二版よりもっと良いと思う。第一版はより完全なもので、著者が考えた構想にはるかに近いものだ。それは当時の社会激動の背景に描かれている一人のロシア皇帝ボリス・ゴドゥノフの運命のこと。
それに対して、第二版には歴史的な冒険物語が繰り広げられている。そこではボリス・ゴドゥノフ皇帝が主人公になっていない。もちろん第二版はこれからもおおいに上演されると思うのだが、その版はすでに何度も上演されたことがある。(20世紀)の20年代末に、パヴェル・ラムとボリス・アサフィエフのおかげで第二版はまずモスクワ、そしてロンドンで上演された。以降、何度もロシア国内や国外で演奏された。
第一版演奏の新しいアプローチは、初めて視聴者の皆さんに提供する試金石であり、第二版に負けずこれからも多くの会場で、多くの音楽ファンのために響き続けることを、我々は願っている。

翻訳:山崎タチアナ 文章編集:Lyudmila

全曲を私のyoutubeチャンネルにアップロードしてありますので、《ボリス・ゴドゥノフ》初稿版の新しいアプローチにご興味のある方はぜひ聴いてみてください。
戴冠式の場がかなりおもしろいです。

youtu.be

女優の Elena Kalinina によるカラムジンの「ロシア国家の歴史」のテキスト朗読が入っているのも、ドミトリ皇子暗殺説含め、歴史的なボリス観を俯瞰するのに役立っていると思います。

このプロダクションが再演され、どこかで実際に鑑賞することができたらいいな〜。