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リュドミラ音楽・ひとり旅日記

Give every man thy ear, but few thy voice.

スキーダムの聖リドヴィナ・・・を訪ね損ねたこと

2015 Amsterdam notes travelogue

2016年明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

昨年末のアムステルダム旅行記の続き。・・・といってもこれは厳密には旅行記ではない。

今回行きたい場所がいくつもあったのだけど、体調を崩したり時間の関係もあって、結局 Museumpleinからほとんど動くことなく(またも現地のKさんに風車を見がてら、近くの村に連れていっていただいた。ありがとうございました)過ごしてしまった。
ロッテルダムやハーレムの美術館、ザーンダムの「ピョートル大帝の家」にも再訪したかった。
そして、発つ前に突如思い出した聖女リドヴィナを訪ねて、スキーダムに行きたかったのだが…。

『さかしま』など世紀末的デカダンスの作品で知られている J.K.ユイスマンスは、後にカトリックに改宗し、その後の作品はカトリシズムとカトリック神秘思想に拠っている。私は『大伽藍』以降のそれらの作品に関心を持っていた。
『ルルドの群衆』の後、1906年に出されたのが『(邦題)腐乱の華 --Sainte Lydwine de Schiedam 』だ。
アムステルダムから行くと、ロッテルダムのひとつ手前の町、スキーダムで14世紀末に生まれた聖リドヴィナの伝記である。ユイスマンス独特の緻密で華麗な文体で、たたみかけるように聖女の生涯が綴られている。

f:id:Lyudmila:20160105210706p:plain 15世紀の木版画「スケートで転倒する聖リドヴィナ」

 信心深く美しいリドヴィナは15歳までは健康に過ごしていたが、友だちにさそわれてスケートをしていた時*1 に転倒し、怪我をした。その傷がもとで以降寝たきりの生活になってしまった。全身を苛む痛みと膿瘍。眠ることも飲食することもできぬのに、彼女は生き続けた。彼女の苦痛は世の贖罪のためだ。

全身が腐乱し続けているのに、彼女の身からは芳香が放たれていたという。
神は彼女に丹毒とペストも与えた。彼女は贖罪の人生を30年以上すごし、亡くなった。
彼女の遺体には美しい奇跡があった。傷は癒え17歳のリドヴィナの面影が現れたのだ。

『腐乱の華』は聖リドヴィナが生きた14世紀後半から15世紀のヨーロッパの歴史概要から始まり、同様の聖人たちの列挙に終わる。

ユイスマンスはパラケルススの著書からこの文章を引用している。
「すべての病気が贖罪であることを知らねばならぬ。もしも神が贖罪が終ったと考えぬなら、どんな医者も病気を中断させることができぬ。・・・医者はその治療が主によって決定された贖罪の終わりと偶然に一致せぬかぎり病気を治すことができぬ。」-- Opus paramirum

 出発前になぜこの本のことを思い出したのかは、まったくわからない。
2015年はリドヴィナの列聖125周年*2ということで、スキーダム市立美術館で関連の企画展をしていると教えていただいた。

Liduina. Van Schaatsster tot Stadsheilige - Schiedam

ところがリドヴィナの企画展は市立美術館ではなく、同市の名産品であるジュネヴァ(ジン)博物館の方で開催しているとのこと。そちらだとなんとなく想定するものと違うような…それに駅から少し遠い。
記念の年に招ばれたような気がしたのだが、出かけるのは見送ることにした。
旅には時おり、こういうことが起こる。オランダにはまた行く機会がありそうだから、聖リドヴィナのよすがをたどることは、いつかできるのではないかと思う。

ひとつ思いついたのは、音楽とともに、もともと関心事であるフォークカトリシズム、聖女ゆかりの場所を訪ねていくという旅もできるかな、ということだ。

*1:ゆえに彼女はスケートの守護聖人。スケオタの皆さん、ご贔屓選手の加護は彼女に祈りましょう

*2:ずいぶん前の人なのにと思われるかもしれないが、通常死後猶予期間5年の後、列聖調査には膨大な時間をかけるものだ。ヨハネ・パウロ2世やマザー・テレサの列聖は異例といえる速さだったが。リドヴィナの死より2年後に処刑されたジャンヌ・ダルクは死後約500年経て列聖されている