楽日である。初日は6月9日、6月末にラジオ放送・テレビ放映*1もあり、favouriteは、ここしばらくそういう機会を逃してきたので、無事にここまで完走することをずっと祈っていた。少し公演の間が空くとサンクトペテルブルクに戻り、《トリスタンとイゾルデ》の演奏会形式兼レコーディングやら、先の公演直後に同演目をマリインスキー劇場で歌って戻って来るというハードスケジュール。決していいかげんなパフォーマンスをしているわけではない。どれだけ努力して、自己管理しているか今回はほんとうによくわかった。この日も頭痛が治らず、ものすごいプレッシャーなんだ、と言っていた。「だいじょうぶだよ、きっとうまくいく」私ができるのはそう言って励ますことくらいだ。
カテコ。楽日なので花束付き。
Musical director: Daniele Gatti
Stage director: Ivo van Hove
Herodes: Lance Ryan
Herodias: Doris Soffel
Salome: Malin Byström
Jochanaan: Evgeny Nikitin
Narraboth: Peter Sonn
Ein Page der Herodias: Hanna Hipp
Royal Concertgebouw Orchestra
主にドイツ語圏で、演出主導のレジーテアターが主流になっているが、あまりにも演出家の自己主張(というか自己満足)の強い舞台は好まれないと思う。オペラはやはり音楽なので、それを聴くじゃまになるような演出は他のジャンルでやっていただけばいい。*2
DNOの《サロメ》の前プロダクションは、この悪い例*3だったようだ。かなり綿密に読み替えてあったものだが、オランダで上演するにもやりすぎ感が否めなかったとのこと。*4
今回の劇場肝いりIvo van Hoveの演出は好対照だったのだろう。舞台はとにかくなんにもない。衣装も簡素。演技もさほどついていない。けれども、そのちょっとした演技と歌唱に深い意味を持たせているのがわかった。
ヘロディアスの小姓とナラボートのやりとり、彼らの職業意識とお互いあるいはサロメへの思慕が確実に伝わってきた。
また、ちょっと変なひとというか浮き世離れした預言者は、たしかに主の来臨と人々の悔い改めを説いているのだということも。このヨカナーンはサロメを突き放す前にそっと抱く。自分に近づいてほしくないが、この娘も悔い改め、救われなくてはならない。彼が歌っている内容とぴったり一致する行動ではないか。
このとき、観ている私は号泣しそうだった。ここで泣いてはおかしいので我慢してたが。
ヘロデも、声そのものがいやらしいのに不思議な真摯さがあって、神への畏敬を感じさせる。ヘロディアスの「あいつを黙らせて!」とサロメの「ヨカナーンの首がほしいの!」がそっくりだったところもびっくりしてしまった。まことこの母親の子であろう、という科白の説得力のあること!
七つのヴェールのダンスも、踊れる歌手を起用したことで効果があった場面だ。繰り返すが、今までヨカナーンを踊らせるのはなかっただろう。
サロメの役は、ドラマティックソプラノで強い声が必要なのに美少女だという設定に矛盾がある。音楽性重視でルックスはおいといて、というのがオペラの定石なので、これはしかたない。しかし、今回は声も合わないんじゃないかと思ったByströmの意外な適性と、少女っぽい表現と舞台では実年齢よりかなり若く見えるルックスが、本当によかった。ぴったり。当たり役になると思う。
この日、私は最前列の席で、指揮者の後からは少しずれた位置だった。これは正解で、指揮者Gatti様の息づかいとかうなり声がすごくて、あまり近くだとうるさくてしかたなかっただろう。もう一心不乱、全力投球で指揮する姿にもまた感動ものだった。これで《パルジファル》とか振ってるんだよね…血圧上がって倒れちゃわないのかな、と心配になってしまった。舞台も演奏もぎゅっと濃い、満足度が高い公演だった。
カーテンアップしたら、明るすぎて、お顔がうまく映らなかったけど、カテコビデオ
嬉しそうな Byström。私のfavouriteは、かわいそうにまだ頭が痛そうである。