リュドミラ音楽・ひとり旅日記

Give every man thy ear, but few thy voice.

Parsifal at the Opéra Bastille, matinée 13052018

Richard Jonesによる新演出《パルシファル》、多くの人々がプレミエの日を待っていた。が、しかしゲネプロが行われようという日の前に衝撃的な告知が出された。「舞台奥の防火用扉のワイヤーロープが2本切れたため、点検と修復の必要有り。《ロミオとジュリエット》および《パルシファル》の4月中の公演は中止」その後また変更告知があり、結局プレミエは5月13日ということになった。ゲネプロは10日。私はちょうど10日と13日のきっぷを持っていた。きっぷは返金か同シーズン内の公演に振替が可能ということだったので10日にボックスオフィスまで出向いて返金してもらった。*1ちょうど出かけた時間はゲネプロが始まる直前で、たくさんのスタッフがボックスオフィスの前にも待機していた。心なしか無事に再開できてよかったという雰囲気があったように思う。
ZhenyaとマネージャーのCさん両方から防火扉事件の話を聞かされ、劇場関係者のうんざり具合はわかった。日本からだって遠征予定でずいぶん泣いた人が多かったのよ、と見る側の悲劇も説明しておいた。

プレミエ当日、満席の劇場には当然ながらものすごい期待の雰囲気がいっぱいだった。
私がオペラバスティーユに来るのはこれが2回目。この前はやはりP.Jordan指揮の《神々の黄昏》だった。

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以前は横断幕だったのがデジタルサイネージになっている



Direction musicale: Philippe Jordan
Mise en scène: Richard Jones

Amfortas: Peter Mattei
Titurel: Reinhard Hagen
Gurnemanz: Günther Groissböck
Klingsor: Evgeny Nikitin
Kundry: Anja Kampe
Parsifal: Andreas Schager

 R.Jonesの舞台コンセプトは、まったくわからなかった…。ティトレルらしき人物の胸像が設えられた池のある庭→同じ本(WORTと背表紙に書かれている教典かな)が並べられた棚とテーブル、キッチンがある部屋→保健室みたいなアンフォルタスの病室→最後の晩餐のような壁画がある会議室→講堂風の部屋→外階段、がベルトコンベア式に場面によって横に動いていく。これが1幕と3幕の装置。2幕はクリングゾルの遺伝子操作実験室とトウモロコシ栽培場→ベンチだけ→再び階段状の栽培場という装置だった。
聖杯城は一種のカルト教団の修行場のような施設なんだろうか。聖杯はトロフィーなんかを入れておく箱に入っていて、開けると聖槍のある場所が空になっているのが一目でわかる。修行中っぽい騎士たちはグレーのトラックスーツを着ている。指導者たるグルネマンツは青いトラックスーツ。後で出て来る教団中枢の人たちはブレザーを着ている。外部者であるクンドリやパルシファルは茶色っぽい服だった。パルシファルはベージュのハーフパンツにポロシャツなので、その差異ははっきりしていた。儀式の場面になると中米のポンチョ風な衣装が出てきた。それは金色の刺繍がある黒衣で、クリングゾルのは同じスタイルだが茶色だった。悲惨だったのはクリングゾルの魔法の城で、ここでクリングゾルは遺伝子組み換えトウモロコシを栽培しているらしい。花の乙女達はなんとトウモロコシなのだ。
階段ピラミッドみたいな栽培場からは動かずに、くねくね踊りまくっている。ぜんぜん可愛くないし、パルシファルが言うようにきれいでもいい匂いもしなさそうだった。君たちは花なのかい?って尋ねるとこがあるけど、どう見たってトウモロコシだろ、ほんまにアホちゃうかとつっこまずにはいられない。

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教団の聖杯と聖槍の箱と同じようなものがクリングゾルのてもとにもあり、そこにはもちろん槍があるだけだ。
パルシファルとクンドリのやりとりはベンチしかない空間でなされる。終盤で再びトウモロコシ栽培場が登場し、それはトウモロコシの乙女達の残骸が残っているだけになっていた。3幕ではどうも教団内の教育がうまくいかなくなっている様子。庭の池でパルシファルの洗礼などがあり、傷の癒えたアンフォルタスはクンドリに口づけされた後に倒れて死んでしまう。最後は皆がアンフォルタスの遺体を顧みもせずパルシファルに付いて階段から外に出て行く。う〜ん、わからん!
閉ざされた聖域はやはりカルトで、クリングゾルは悪ではなくその中では教理に背く先進的な人だっただけなんだろうか。
まったく新しい教祖として変容したパルシファルは、今までの洗脳を解いて新しい外の世界へ導いていくということなのかな。
観る人が見たらなにかわかるかもしれない。私はパルシファルの舞台は中世風のオーセンティックなものか、抽象的なものがいいと思っている。METの演出は抽象的だけど、漁主王をモチーフにしている『荒地』の雰囲気があって、必要以上には頭を使わなくてすむので好ましい。

演出は凝り過ぎ考え過ぎでどうにも気に食わなかったが、音楽は素晴らしかった。オケを操る指揮は流麗という言葉がぴったり。少しスムーズすぎて物足りないと感じるところもあったが、品がよく少しテンポを早めにとっているところも颯爽としていた。
クンドリのKampeはこれがパリオペラデビューだそうだが、クンドリは歌っているので余裕はじゅうぶん。2幕の「パルシファル」と呼びかける声の美しさといったら。
Schagerはえらいデカ声だった…。常に元気いっぱいで、変容の場面以降からもあまり変わっていなかった。ずっと硬さの残る声で、上手ではあるけどデリカシーがないというか。初日だったからかな。グルネマンツは健闘していたけれど、私はPapeの深々とした声と滋味のある表現が好きなので、なんとなく浅く聴こえる声が残念だった。もう少し爺くさい方がいい。ただいいところもあって、ぐだぐだと説教しているうっとうしさは皆無だったのだ。パルシファルとともにジジイの説教にはうんざりするというタイプの聴衆には適しているだろう。
アンフォルタスは、歌唱ももちろんだが苦痛の演技がほんとうにすごくて、痛たたた…もうやめてよ〜と見ているこちらも辛くなるほどだった。さすがマっちゃん。

さて、ワタクシのお目当てのクリングゾル、今回は手放しで誉める。今まで聴いたうちで歌唱的には最も素晴らしかった。もともとヒロイックで柔らかい上品な声を持っているのだが、 どうしても声を張りすぎてしまったり、ピッチが微妙に外れたりすることがあった。それはだいたい同じ音なのでいつも緊張しながら聴いているのだ。そこも難なくクリア。この演出のキャラクター像かもしれないが、あまりブラックな雰囲気はせず異端の研究者みたいなところも声質に合っていてよかった。
これでアンフォルタスを歌ったとしたら、もっとぴったりだと思う。

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カーテンコール

 拍手をしない習慣などというのはとっくに風化しているらしい。各幕終わりには拍手。終幕はたいへんなアプローズであった。指揮者の人気はとくに素晴らしい。
自覚があるのか初日なのに演出家は舞台に姿を見せなかったので、ブーイングはまったくなし。舞台はわからないけど、音楽は素晴らしいか2回は聴きたかったな〜。
この公演の録音はFranceMusiqueで日本時間6月4日3時から放送される。

www.francemusique.fr

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幕間が45分、30分と長いので、お連れがいないとつまらない。幸いなことに、ZhenyaのマネジャーCさんが2幕から来られるということで後の幕間ではおしゃべりしてすごすことができた。彼女は演出がおもしろいと話していた。Cさんのマネジメントしている歌手たちはバロックから現代ものを歌う人まで広範囲にわたっている。活動場所もヨーロッパ中あるため、私もあちこち出張ばかりよ、と言っていた。さすがにどの歌手にどんな特性があるか、また劇場での音響についても詳しく、話を聞いているとすぐ時間が経ってしまう。

来月ボリスをいっしょに見ようと約束してきたので、またおしゃべりできるのが楽しみだ。

*1:クレジットカードに返金してもらう、の一択しかない