リュドミラ音楽・ひとり旅日記

Give every man thy ear, but few thy voice.

Fidelio at NNTT 27052018

ネタばれがありますので、これからのご鑑賞の方はご注意を。

何かと舞台演出が話題になってる新国立劇場新制作《フィデリオ》、簡単にいうと…

第1幕:モーツァルト風味《トスカ》

第2幕:モーツァルト風味《トリスタンとイゾルデ》とベートーベン作曲《アイーダ》のミクスチュア (レオノーレ序曲付き最終稿による)

 演出は Katharina Wagner 、バイロイトで一緒に仕事をしているドラマトゥルク*1Daniel Weberまで連れて来るご丁寧さである。演出のコンセプトとしてはドラマトゥルクの力が大きいと思うので、オチがかなり他と違うが一貫性があり興味深いものになっているのは彼の功績か。Stephen Gould, Richarda Merbeth, Michael Kupfer-Radeckyという一級のワーグナー歌手と日本が誇る妻屋、鈴木、黒田の各氏、彼らに遜色ない優れた歌手をマルツェリーネと囚人ソロに配置しソリスト陣もおみごとだった。
演出家のもうひとつの功績といえば、他のワーグナー公演の時と比べて飯守先生が実に活き活きと指揮をなさっていたことにもあると思う。バイロイトの総裁を演出に迎えたということは芸術監督にとってたいへん意義のあることだったろう。
主要キャストが素晴らしい演奏だったことは言うまでもないだろうが、モーツァルト的可愛い歌があるマルツェリーネの石橋さんが抜群の安定感と声量で優れていたことは特筆すべきだと思う。演奏に関して、日本国内の公演においては誉める以外はNGらしいのでこれ以上書くことはない。決して悪いという意味ではない。日本のオケと合唱はたいへん優秀なのでいつもそうは変わらないのだ。
問題の演出について。せりふが一部変えてあっても楽譜に改編はなし。通常とは異なるドラマとして作り上げていた。
読み替えはあるが、時代や場所が特定されていない(衣装や小道具、舞台装置も観客が見ていて違和感がない)し暴力的な描写は多少あっても過剰なエログロは皆無。まずまともな演出に分類されると思う。私はMartin Kušej, Calixto Bieito, Barrie Kosky 等のエログロ演出にも様式美を感じるものであれば拒絶することはない。一貫したコンセプトがあり、演奏の妨げにならない、楽譜に手を入れないものであればおよそなんでも許容できる。あまりにバカバカしいものはバカにするが…。最近ではパリの《パルシファル》がこれに当たる。あのアホちゃうかというトウモロコシガールズ演出に比ぶべくもない。
もともとの「愛と正義*2の勝利」の方向性が変わっているだけだ。終わりが《アイーダ》や《トリスタン》的であるのは悲劇ではあるけれど一種の勝利だ。レオノーレのもとにフロレスタンが戻ったのに間違いはない。レオノーレの変装に対するピツァロの変装と大臣への挑戦は欺瞞だらけの現代についての批判とも見える。今日はよくても明日になれば常識も正義もひっくりかえる可能性がある。
ひとつ非常に残念なのは、舞台装置をキャパいっぱいに使用しているため、席によっては大幅に見切れる部分があったことだ。私は舞台よりバルコニーが好きなので、できればその席を買うことにしている。端になるので同じ側の舞台袖に近い部分はどんなものでも見切れるのは納得している。しかし今回の装置では見切れるところが多すぎて重要な場面がまったく見られなかった。ピツァロの居室があるなんてことは他の方の感想で知ったほど。3層に分かれていた最上層の上手側がまったく見えなかった。さらに下手側にも仕切りがあったのでそこも半分みえない。おそらく正面ブロックでなければ全体見るのは不可能。新国立劇場はバイロイト祝祭劇場ではない。

(追記)
鑑賞なさった他の方々の意見を総合して、どうしても舞台の見切れが多いことに何か対策をしていただきたいと思い、新国立劇場のご意見ご感想フォームに意見を書いて送った。残りの公演に間に合えばと考えたのだがムダだったようだ。おそらく同様のご意見はたくさんあっただろう。
きっぷの販売は半年以上前から始まるため、その時点でパーシャルビューの案内(恒常的に見切れの可能性がある場所に関しては注意書がある)は不可能だ。
しかしゲネプロの後なら予測できるはず。何の手立てもないとは考えられない。座席案内のスタッフがあんなにいるのだ。写真撮影や席移動の注意にすっとんでくるくらいなら席に着く前の客に「こちらのお席では見切れがあります。ご承知くださいますか」とひとこと案内することぐらいできるだろう*3あるいはマドリードのテアトロレアルでやっているように、全容が見えるモニターを設置する*4とか、見えない部分のデコールとかそこで行われているプロットを説明するリーフレットを作るとか。開演前のアナウンスで何か言うのはスマートではない。ただでさえ注意が多く不評なのに。
また、ある程度観劇経験がある人はどこの劇場でもこういうことが起こる可能性があるというのはわかるだろう。でも初めて観る人だったらどうだろう。安くはない金額の席にもかかわらず何の案内もなく、重要な部分の半分も見られないと知ったらショックではないか。終わった後で「今後の参考にいたします」じゃ意味ないのだ。

*1:新国立劇場のオペラ公演でドラマトゥルクの記載を見たのは初めてのような気がするのだが、今までありました?ドイツ、オーストリアあたりだと普通にスタッフに入ってるけど日本で見たことないような

*2:この場合フロレスタンが正義でありピツァロが悪であるという前提

*3:承服できかねる、と言われたらどうするんだ?それは劇場側で考えてください。プログラムを無料でお渡しするとかなにかあるはずだ

*4:実は私も部署異動で4年前から劇場ではないがホール運営に携わっているため、現場ですぐにできることとできないことはある程度分かる。小型のモニターの設置は技術的にはできるはず。お役所的手続きが必要なら不可能かもしれない。