リュドミラ音楽・ひとり旅日記

Give every man thy ear, but few thy voice.

Boris Godunov (1869) at the Opéra Bastille 29062018

オペラ座職員のストライキにより演奏会形式上演

Conductor: Vladimir Jurowski
Xenia: Ruzan Mantashyan
Fyodor: Evdokia Malevskay
Nurse of Xenia  Alexandra Durseneva
The Innkeeper: Elena Manistina
Boris Godunov: Ildar Abdrazakov
Pronce Shuiski:Maxim Paster
Pimen: Ain Anger
Grigori Otrepiev: Dmitry Golovnin
Varlaam: Evgeny Nikitin
The innocent: Vasily Efimov
Andrei Chtchelkalov: Boris Pinkhasovich
Mitioukha: Mikhail Timoshenko

オケはいつもどおりにオケピに入った状態のため、広いステージがいっそう広く見えてしまった。もともと転換が必要な装置はなく、場面の切り替えは背景のビデオプロジェクションになっていたし衣装もほとんどがスーツだったのでそう考えて見ればたいした影響はなさそうだったが、ラストシーンが全く違う印象になってしまった。そこが大きなマイナス点だった。
舞台と同じ衣裳を着ていたのは、警察官と旅籠の女将、クセニアとその乳母など女性陣。舞台では下着のパンツ一枚だった聖愚者役は白いシャツに左右アンバランスに裾をまくったズボンに裸足という微妙な格好。スーツでかなり違和感があったのはグリゴリーとピーメン。「民衆」という大事な役割がある合唱団も、チャコールグレーの衣装で統一されていた。
 私の席からは指揮台のユロ兄の姿がよく見えた。いつもと変わらず時々自分も舞台に合わせて歌いながら涼しげな様子だった。

全体に大人しくテンション低めな始まりだった。急に演奏会形式になったのだし、どのくらい演技の指示が入っているのかもわからないものなあ。とぼんやり考えながら聴いていた。
様子が変わったのはピーメンの僧坊のあと。リトアニア国境の旅籠のシーンからだった。初稿版では女将の歌もないし聞かせどころはワルラームが張り切って歌う「カザンの町であったとな」とグリゴリーの手配書を読むくだりだけ。
ここでのワルラームの高密度な歌は、一気に演奏の雰囲気を変えた。Zhenyaは今回がワルラーム 役デビュー。今までは題名役ばかり歌っていたのでかなり不思議に思っていた。すこし前にでたインタビュー記事によると「ファルスタッフを歌うことを視野に入れているので、ワルラームもその準備になる」とのこと。
*1
ワルラームはシェイクスピア劇の登場人物(いわゆる狂言回しだったり教訓を垂れる人物…道化やポローニアスあるいは王の影)らしいとも思える。
演奏の快走はここから始まった。
ピーメンのAngerはドジファイを聴いてから、ピーメンで聞くのをすごく楽しみにしていた。期待に違わず、美しいピーメンの旋律にぴったりの声。
ボリス役Abdrazakovの歌は非常に端整だった。舞台が付いている時と変わらないくらい(と思う)の熱演だったのだが、なんというか線が細く荒さが少ない。ボリスの苦悩は幼い皇子の殺害に起因する*2というコンセプトに忠実で、いい人すぎるというか。上手だけど物足りないというのが正直なところ。

テノール3人は素晴らしい出来。それぞれ個性的で魅力がある声を持っている。
特にシュイスキーはこの演出上ではキーパーソンであるから、グリゴリーより僭称者としての役割を果たしている。
舞台付きではラストシーンはこのようになっていた。参考のためにはそこだけyoutubeにアップしてみた。最後にグリゴリーが登場するのも今までにない演出だ。

 

youtu.be

これが演奏会形式では最後に舞台に出てきてほくそ笑んでいるのはシュイスキーだった。 
なぜあえてこの場合にグリゴリーを出さなかったのかはわからない。物語をさらにその先へ進めていたのだろうか。
さて、注目のフョードル役Evdokiaちゃん。この子の芸達者ぶりというのはすごかったが、声はマイクや録音向きのようだ。ビデオでは他の歌手と遜色ないように聞こえる。大人のメゾソプラノとボーイソプラノの中間のような声質が今だけの魅力にもなっている。サンクトペテルブルク音楽院で学んでいるということなのでこれからオペラ的発声にもかわっていくのだろう。
あと『新世紀 パリ・オペラ座』の映画の中で推されていたMikhail Timoshenkoもなかなか目立ついい仕事をしていた。前日にリサイタルもやっていたので、時間があったら聴きたいと思ったがチケット完売していた様子。そのうちピーメンなんかを歌うといい感じのバスではないかと思う。

ボリス・ゴドゥノフという作品の初稿版の優位性を十分に聴かせてくれるのは、現在の指揮者の中ではユロ兄が一番だと思う。
鐘の音、低音管楽器の音(ちょっとしたミュートのかけ方)も、ここでこうあるべき、これ以外考えられないという絶妙の音色だった。
終幕へ向かっての推進力とオケの集中力は素晴らしかった。
楽しみにしていた舞台演出は見られなかったけれど、この演奏で十分満足だった。
決して多くはなかった聴衆もきっと同じ感想だったと思う。アプローズは盛大だった。
スラブ系のオペラはどうも人気がないようだし、地味な印象なボリス初稿版、またここでかかるといいな。次にはZhenyaをタイトルロールで出してくれるともっといい。

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カーテンコール

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カテコでのEvdokiaちゃん

 

*1:謎は解けたが、私は彼のクールな役どころが好きなのでファルスタッフ歌うとか言われてもあまり嬉しくない。

*2:そればかりではなく、実際はむしろ自然災害等により統治がうまく行かないことがその原因になっている説が有効と思う