リュドミラ音楽・ひとり旅日記

Give every man thy ear, but few thy voice.

DIE WALKÜRE at l'Auditorium de Bordeaux 23052019

名演というのはそうめったにあるものではない。今回の《ワルキューレ》は、間違いなく名演のひとつだったと思う。メジャーなヴェニューでもなく、有名な歌手が出ているわけでもない。おまけにフランスの地方都市でワーグナーとは*1私のように歌手を選ぶ人以外は遠征してまで行かないだろう。ストリーミングがあっのでもないので、名演の共有は当日そこにいた聴衆に限られるわけだ。だからこそ観に行ってよかったと言える。

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© Eric Bouloumié: Opéra National de Bordeaux

 演出は前述したとおりシンプルでスタイリッシュであり、特別なにか主張があるわけでもないためいっさい音楽の邪魔になっていない。これは舞台装置だけのことを言っているのではない。演出で描く部分のストーリーが極限まで収斂されているのだ。歌唱と演技はスマートで、登場人物の行動や感情の動きがダイレクトに伝わってくる。

第1幕、父や兄と離れ離れになり絶望のうちにフンディングの妻となり日を過ごすジークリンデが、実は兄に匹敵する強さを持つことは、歌手の力強い歌唱*2で表現されていた。
ジークムントもフンディングも、実のところはジークリンデの激情に翻弄されているだけに見える。ジークムントはとても甘いイタリアオペラ向きの歌唱だという印象は変わらない。ただ《ワルキューレ》に限っていえば指環の中でもイタリアオペラっぽくて単独上演される機会が多い作品なので、こういうタイプでもよろしいかと思う。フンディングは今回のキャストで一番弱いかんじ。体調でも悪かったんだろうか。こいつ絶対負ける、と見えてしまう。

前回と同じく2幕から元気いっぱい登場するブリュンヒルデの闊達なこと。すっきりとした繊細な声質と余裕のある音域は素晴らしい。オケの音もきれいに回るが、そこをきれいに切り裂いて聞こえる。フリッカの品のある佇まいと説得力のある歌唱で、彼女の主張が正論でありヴォータンが言うことを聞かざるを得ない状況というのも納得できる。

ヴォータンとブリュンヒルデの父娘対話も親密で、対話の間になぜかヴォータンがどんどん服を脱いでいくのだがそれも気のおけない雰囲気と娘には本音をわかってほしいという気持ちが伝わってきた。これが終幕の別れをいっそう泣けるものにしていた。ヴォータンにはまず2幕でジークムントとの別れがある。ブリュンヒルデが従わなかったばかりに自ら手をくださなければならなかったという悲劇。お前は邪魔だと言わんばかりのフンディングに向かってのGeh! がビシッと決まった瞬間にはゾクッとした。3幕へつながるヴォータンの怒りと悲しみ、目には見えないジークムントの死への慟哭があった。
ワルキューレの姉妹たちそれぞれの自由で明るい歌唱も変わらず。ひとりひとりの個性がとてもよくわかった。オケがそれほど重々しくないため、天を翔ける情景が容易に思い浮かべられる。
緻密でテンポにブレがなくコケる音がまったくないオケだった。
そこからジークリンデを加えて娘たちの混乱と、未来に向けてのブリュンヒルデの予言までまさに一気呵成に進んでいった。正確な演奏時間の配分があるようで、ちょっと急ぎ足かなとも思ったが、推進力がすごかった。
相変わらず力強く、未来の希望を抱いてジークリンデ退場。

ここからのヴォータンの別れがみごとだった。
感情表現が過剰なわけではないのだが、これは楽譜に忠実に歌うことと声質によって自然とひきおこされる感動なのではないだろうか。
この演出では、ヴォータンは悲しみに打ちひしがれており、その最後の力をふりしぼって魔の炎を起こす。ブリュンヒルデとは二度と会うことはない、ということと神々の黄昏の予感がはっきり見えるようだった。ヴォータンは槍にすがるようにして退場していく。
深いオケピットから聞こえる音が消えてから、一瞬の静寂があった。
この後盛大なアプローズで、演奏者全員ほんとうに嬉しそうだった。

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最終日アプローズ

これはえらいことやったなと、功労者Zhenyaに「素晴らしいパフォーマンスだったよ、すごい感動した」と伝えると「知ってる。みんな泣いてたし」(客席を常に見ているので私よりずっと反応がわかったのだろう)と言っていた。

彼は銘板に「super DAD」と書かれたおもちゃのトロフィーを持っていた。「これどうしたの?」と聞くと「娘たち、ワルキューレがプレミエの日にくれたんだよ」と。ワルキューレ役歌手さんたちにとってもsuper DADだったんだ、と思うと嬉しかった。

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ワルキューレたちとsuper DAD © Eric Bouloumié: Opéra National de Bordeaux

彼はこの直前はMETの黄昏に出演していて、後もすぐにホームに戻ってマリインスキ劇場の白夜祭の出演でがちがちのタイトスケジュールだ。どれも完璧なパフォーマンスを目指している。
ほんとうに尊敬すべきアーティストだ。

super DADのヴォータンの別れ、ソロアルバムから

youtu.be

*1:演目自体がみたければ、ドイツに行ったほうがいいと思うし

*2:非常に明晰なディクションと力強く減衰しない声を持っている逸材だと思う