リュドミラ音楽・ひとり旅日記

Give every man thy ear, but few thy voice.

Die Schöpfung at Opera di Firenze 02052015

Maestro Mehta は連日大活躍。どうしようか迷ってきっぷは買っていなかったが、まだ席に余裕はあるみたいだし、せっかくだからこの日のコンサートも行くことにした。
ハイドンの《天地創造》である。私はこのオラトリオも好きなのである。
五月音楽祭では毎回オペラやオラトリオの前には、事前のレクチャーがある。この日も開演45分前からあるというので、イタリア語もろくにわからんくせに聞きにいくことにした。その前にきっぷを買う。ガレリア席の真ん中へん(25ユーロ)がいいわよ、とカッセの女性におすすめされたので、そこを購入。
レクチャーが行われるのも3階のホワイエなので、ちょうどいい。
80席くらいあったかな、ほどほど埋まってみんな神妙に拝聴していた。*1
中身はテキストがミルトンの詩と創世記をもとに書かれているとか、構成や楽器の話…(だと思う。ちょこっとわかる単語をひろっただけ)。最後にこれからの演奏は〜とかの説明の時にびっくり仰天。「ソリストが代わります。バスの Volle とソプラノ… 」は??? いつの間に。なにこれ、ショーペロとかギャラの払いが悪いとかのせい? 聞き逃したのか言わなかったのか、代役がわからぬまま自分の席に着いた。
もちろん開演前にアナウンスがあった。「ソリストはMichael Volle に代わりまして、Hanno Müller-Brachmann,  そして Julia Kleiter, Michael Schade *2

 ここで突然 Hanno さんの名前を聞くとは思わなかった。これは嬉しいなと胸をおさえたら、隣の席のおばさまが「こんなのある?」と話しかけてきた。「私は、バスの代役の人が気に入ってるのでラッキーだと思ってるんですよ」「あらそうなの?」
Hanno さんはベルリン国立歌劇場のアンサンブルを離れてから、とんとオペラには出なくなり、代わりによく歌っているのがバッハその他のオラトリオやミサ曲なので、このあたりの曲はぴったりだ、と私はひとりご満悦だった。
 Maestro Mehta はお疲れもみせず、いつもどおりに丁寧に音楽をつくり、運んでいく。
そういえば《フィデリオ》もドイツ語オペラ、これもドイツ語オラトリオだけど、合唱もドイツ語圏のソリストに負けず、端整。
男声ふたりは余裕のある素晴らしい歌いぶりだった。分量が多いソプラノもきっと負担が大きかっただろうに、落ち着いた潤いのある歌声を最後まで維持していた。
ガレリア席は音がけっこういいのだ。
休憩に入る前にまたお隣のおばさまが話しかけてきた。「あなた、好きな歌手だって言ってたわね、ほんと素晴らしいわ。ソプラノもいいわね、彼女ほんとにラストミニッツで決まったらしいのに」と今度はにこにこなさっていた。
生き生きとした描写とか、変わった音というのはなかったけれど明るさと威厳に満ちた演奏に、聴きにきてよかったな、と思った。

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ちょっと涼しい春の夜に、ひと駅分だけこの街唯一のトラム路線*3に乗って駅前の宿まで、とことこと帰ったのだった。

*1:オペラの時は演奏中もしゃべりっぱなしの人たちがいるのだ

*2:もとキャストで残ってたのは Schade だけ

*3:最終が0:20まである