リュドミラ音楽・ひとり旅日記

Give every man thy ear, but few thy voice.

Tannhäuser in Bayerische Staatsoper Japan tour 28092017

素晴らしい演奏だった。今回は友人の伝手で最前列の席であったため、視界は抜群。すぐ前のオケピットから個々の楽器の音はよく聞こえた。
身長が低いKiril Petrenkoのようよう見える横顔と、高く挙げられた両手にしばしば見とれる時間であった。
静謐で精密、きらびやかさはない水墨画のような音作り。指揮をする手は絵筆をとっているようだ。どうしたらこのような品のいい颯爽とした音になるのだろう。
その前にちょうど威勢はいいがずっこけ気味のサンカルロ劇場のオケをきいたばかりだったので、ただただ「巧い!」と感心するばかりだった。

ソリストや合唱のうまさも言わずもがなで、それぞれたっぷりと魅力のある歌をきかせてくれた。タイトルロールは5月に同プロダクションのプレミエでロールデビューしたばかりのKlaus Florian Vogt…私はもともとこの人の声は好きだ。でも、まだタンホイザーとして納得できるものではなかった。いつものように音符は正確に、きちんときまった場所に音も当たり、はずさない。渾身のローマ語りもいい出来だったと思う。でも、終局前のタンホイザーの救済の望みを断たれた絶望感は伝わってこなかった。まだ赦されるものの余裕があるように感じた。
エリーザベトのDash嬢の声も可愛らしくて純粋なのだが、佇まいがいまいひとつ姫っぽくない。プレミエのキャストHarterosはその点より「らしい」のであったろう。私はDash嬢の声も姿も好きなので、なんだかんだ言っても観てるだけで楽しかった。
ヴェーヌスもひどく好みだった。男性陣ももちろん堂々たる歌唱。

 話題の演出については、よくわからなかった。聖母マリアのとりなしによる放蕩の罪の救済というテーマは、どこへやら。
悠久の時のながれと諸行無常、ウパニシャッドを思わせる哲学が全体を通しているようだった。ちょっとタイクツで、最後に演出家のどや顔が目に浮かぶような、九相図を模した死体の変容ははっきり言ってうざかった。何もせずにローマ語りをきかせてほしかったというのが本音だ。そう、数年前の春祭できいた「ローマ語り」は、演奏会形式であったから感動したのかもしれない。
最も感心したのは序曲でのアーチェリー女子たちの弓矢さばき。私はアーチェリーの経験があり、それなりに試合経験もある。あの精度で矢を射るのに、どのくらい練習が必要かはわかる。しかもトップレスというのはなかなか勇気がいる。しばしば弓弦がむき出しの腕にあたる危険があるのだ。かなり痛いし、へたをするとDVと間違えられるくらいの痣もできる。
また、直接的に肉欲の世界を表現したようなヴェーヌスベルクも、通常のきれいなお姉さんたちが舞い踊るようなものとは違っていて、けっこう気にいった。
Vogtさんの末息子が牧童役で一回目は出演できたそうだが、その後は病欠をしていた。
話題性はあるだろうし、ほんとのこどもが出てたら可愛らしいけど、私は舞台に出ている人と歌う人は一致していたほうがいいなと思った。

きっぷは高かったけど、満足度の非常に高い公演だった。本場ミュンヘンでもプレミエ料金はけっこう高かったし、これだけのプロダクションをもってきてもらえたのだ。ありがたや。

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1幕後の休憩時、目の前をすごくでっかいおじいちゃんが歩いていった。いっしょにいた友人が「Matti Salminenじゃない?」と。2幕前に確認したらたしかにSalminenだった。1階真ん中あたりに着席なさっていたが、ほんとでかい。後の席の方が気の毒だ。
次の休憩時につかまえて、握手をしていただいた。
地声も深く、とってもすてきだった。彼のワーグナーロールをまた聴きたいな〜としみじみ思ってしまった。
終演後は楽屋口に行ってみた。パーティーがあるときいたが、ヘルマン、タンホイザー、エリーザベト、ヴェーヌス役の4人がファンにサイン対応をしてくれた。
ありがとうございました!