リュドミラ音楽・ひとり旅日記

Give every man thy ear, but few thy voice.

Parsifal at the MET 10022018

マチネ公演が終わって出待ちの後、近くで遅いランチをしてから部屋に戻り急ぎシャワー、着替え。ぎりぎりで休む時間はほとんどなかった。
この回だけ観る弾丸遠征の友達2名と全行程同行の友1名、現地在住者1名、私、とけっこうなグループ鑑賞になった。席はそれぞれ違っている。私は2階パーテールの上手側ボックスにて鑑賞。ここいい席。お手洗いもすいてるし、人の往来があまりない。《パルシファル》は2回鑑賞予定で2回とも友人ときっちり反対側の席を購入し、交代して観ようということにしていた。第3幕は下手側のボックス席に移動した。ボックス仲間はじーちゃんばっかりだった。どこでもクラシック鑑賞のシーンでは高齢化がすすんでいる。

ワーグナーの作品で、録音録画生舞台鑑賞を含めて《ローエングリン》の次に多いのは《パルシファル》かもしれない。そのへんの理由もあって、字幕装置はジャマなので横に倒しておいた。

Amfortas: Peter Mattei
Gurnemanz: René Pape
Parsifal: Klaus Florian Vogt
Klingsor: Evgeny Nikitin
Kundry: Evelyn Herlitzius

Conductor: Yannick Nézet-Séguin

 François Girard演出の《パルシファル》はMETでは2013年プレミエ。今回はパルシファル、クンドリ、ティトレル役が新キャスト。グルネマンツ、アンフォルタス、クリングゾルはプレミエと同キャスト。
2013年の公演はラジオ放送とHDで鑑賞。その後テレビ放映があった時にも見て、ブルーレイディスクも購入している。ほとんどなにもない舞台装置と背景の映像、シンプルな衣装などが気に入った演出だったのだ。しかし実際見たら、映像で感じた雄大さとか荒廃したドライな質感が意外と感じられず、少しばかりがっかりした。音楽を聴くのにじゃまになるような押しつけがましさがないのはいい。舞台上手の明るい部分に白いシャツの聖杯騎士団、下手の暗い部分に黒い衣裳の女性たちを置くことで陰陽の対比、終幕の両者の融合(の予兆)を示していると思しく、その意味では分かりやすいといえるだろう。ビデオプロジェクションも実際には手前の人物を見るのに集中しているとほとんど視界に入らないので、ほんとに「背景」の役割としか見えない。つまりたいした意味をなしていない。所見で感じた「荒地」の雰囲気より生きるものの生なましさ*1が圧倒的に感じられた。ずっと湿度のあるかんじなのだ。舞台装置の中ではお金がかかっていそうなのは、2幕の血の池。これは浸かっている方もあまり気分のいいものではないらしい。*2 この日、幕が開いてすぐ下手の袖に舞台スタッフらしい男性の姿が見えた。何か装置の異常だろうか?と見ていると彼はいったんひっこみ、次に忍び足で舞台の端に出て行った。そしてかつぎあげたのは、昏倒した花の乙女付随のダンサーのひとりだった。乙女用の槍が林立しているし、暗めなのであまり目立たずに済んだ。倒れた1名用の槍は別のダンサーが支えて持っていた。そっちに気を取られて私は短いZhenyaの出番を少し見逃してしまったかも。

METの音楽監督に就任することになったYannick Nézet-Séguinは、ワーグナーの作品をまだそんなに数多く振っているわけではない。私は彼のワーグナー振り始めの《オランダ人》を聴いているが、その時とさほど印象は変わらない。気負いがまったくないのだ。頑丈な人が多い指揮者の中でも若くて元気なせいか、もともとの性質なのかさらりと明るい音楽をつくっていく。聖餐の儀式は拍子抜けするほど重みがなくて、打楽器も和太鼓か!と思えるくらい快調(これはいいのか悪いのかまったくわからない)。不安定なところはないし、特に気に入らない部分もないが熱がないな〜というのがオケの印象だった。金管ちょいコケとか弦がばらつくとかよくあることなのでその辺は、都合よく脳内で自動変換される。
しかしそのぶんじっくり歌唱を聴くのに身が入ったかもしれない。
以前Zhenyaが「Vogtの声はパルシファルにはぴったりだ。パルシファルは少年だから」と言っていた。自分と同年代のテノールをほめることなどめったにないのだが、共演が多いVogtの声の性質はよくわかっているようだ。
声もさることながら、演技、表情もパルシファルだ。白鳥を射落として叱られるところは実にバカっぽくて可愛らしく、2幕の変容のとこで声の音色から表情までがらっと変わる。プレミエキャストのKaufmannはVogtより演技派であるし、声も少し暗い。3幕はKaufmannのパルシファルの方が雰囲気があるのではと予想していたが、かなりリリックに聴こえるVogtの声は3幕に至ってはその中に太い芯が入って、不思議に重く聴こえてきた。ピッチがゆれるところはいっさいなくプロジェクションもいい。
高貴で清澄なパルシファルであり、この演出で(私は見ないようにしていたが)コンセプトとしている陰陽の融合のようなものからはずれてしまっているように感じた。この点この演出はKaufmann向きだ。
他の役柄もさることながら、Papeは世界一のグルネマンツになりつつあると思われた。幕間にPapeduckの写真を席で撮って遊んでいたが*3、そんなグッズがあるとは思われない重厚ぶり。低い倍音の鳴りがすごかった。首から頭にかけてすごく響く音がするのだ。この響きというか鳴りがするのがもうひとり。アンフォルタスのMattei この人の声は全方位的に響く。おまけに演技が巧い。傷ついて苦しみ、聖杯開帳がどのくらい苦痛をもたらすか、が彼の演技を見ていると恐ろしいくらい身に迫る。かわいそうだから、聖杯の儀式を強要するのはやめてあげてよ〜。
プレミエキャストよりかなりいいな、と思ったのがクンドリ。Dalaymanがかなりおばちゃんぽくて、おっかさん風だったのに対して今回のHerlitziusは年齢不詳な魔性の女という役柄にちゃんと見えた。声の存在感としては希薄。私の注意をただの一度もひくことはなかった。
クリングゾルのZhenya 録音はアンフォルタスばかりなのに、実際舞台で演じるのはクリングゾルが多い。見た目で選ばれているのじゃないか。
プレミエの時と少し演技は変わっていた。歌唱はかなりグレードアップした…と思う。
やはり私は、彼はアンフォルタスを聴きたい。ここでMatteiに代わるとはありえないが。
この日はマチネ公演があったので、通常より1時間開演が遅れ、そのため終演は日付が変わってしまった。3幕を見ずに帰る人もたくさんいた。そのせいなのか多少演奏が走るところもあり、3幕もあっさり終わったと感じた。
《パルシファル》で1幕2幕後には拍手をしないという慣例は、もうすっかりなくなってしまったのかどこでも普通に拍手があるようだが、これに加えてこの劇場ではイタオペ並みのフライング拍手に大向こうまで入る。さすがアメリカだな。せめて残響が消えるまで待っていられないのか…。

f:id:Lyudmila:20180221214339j:plain

********************

終演後楽屋口に行く頃には、午前1時近かった。14時間の時差がある場所から来た私たちはへんなテンションで、Papeduckにサインをもらわなければ!とかVogtさんに会わなければ!とおそらく出演者も速攻で帰るだろうからと急いで向かった。驚いたことに昼間より出待ちの人が多かったのだ。みんな大丈夫か。
早めに出て来たPape氏は、足も止めずに行ってしまいそうになったが友達は追いかけた。Papeduckにもらおうとしたら、duckにはサインはできないと言われてしまったそうな。おそらくサインペンのインクもはじいてしますのだろう。Mattei, Vogt, Nézet-Séguin と次々出てくると、もう皆さんそれぞれとお話ししたり写真を撮るのに夢中で、Herlitziusを取り逃がしたのにも気がつかないようだった。はしっこにいた私は彼女に気が付いた。何も言わない私に向かって彼女もにこっと微笑んで帰っていった。お疲れ様でした!
Vogtさんはいつものように、疲れた様子も見せずにファンサービスしていた。友達との写真を撮影するときに、すっと腰を落としてみんなの顔近くにご自分も入るようにしてくださった。なんて優しい。
さて私のお目当てのZhenyaはなかなか出てこなかった。マクベス夫人の如く、血の跡が落ちないからだろうか。寒い時期によくやる目だけだして帽子やマフラーで顔を覆った銀行強盗スタイルで出てきた。たいてい1人でいる私がけっこうな人数の友達といっしょだったのに、少し驚いたようだった。girlsみんなでいっしょに来たのか~と感心していたが、ほかのgirlsはみんなVogtさんファンだということには、気がついていなかった。皆さんZhenyaにもサインを求めたりお話ししてくださってありがとう(涙)

 

 

 

 

*1:これはひとえにMattiの熱演による

*2:赤い血糊の染料は皮膚が染まってしまうのだそうだ。洗ってもすぐにはおちない

*3:一部ファンの間ではPapeduckといろんなところに行って写真を撮るのが流行っているのだ。インスタ映えするよ