リュドミラ音楽・ひとり旅日記

Give every man thy ear, but few thy voice.

ブラナー・シアター・ライブ《冬物語》

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上映の最初、ブラナーがあれこれナレーションするが、その中で「この作品には『熊に追われて退場』というト書きがあるのです」とわざわざ言っている。そこ重要なの?(重要かもしれない…)

ケネス・ブラナーのカンパニーが拠点のギャリック劇場からライブ配信を始めるというので、さっそく観に出かけた。日本ではライブではないが、METのHDと同じく一週間上映される。珍しく名古屋での公開が一番早い。今季は3作品上映されるという。
他のはともかく《冬物語》は観ないとならんのだ。

 〈あらすじ〉
シチリア王レオンティーズは自分の妃ハーマイオニと親友のボヘミア王ポリクシニーズとの不貞を疑い、妃を激しく責め立てる。心身ともに類希な美しさを持つ妃にはもちろん不貞の事実はない。しかし疑心暗鬼のシチリア王は臣下をデルフォイにまで行かせて受け取った「妃は無実」との神託をも一蹴する。そのため王は息子も王妃も生まれたばかりの娘も失うことになった。生まれた娘は領地外へ捨てろと命じ、姫はボヘミアの羊飼いに拾われる。すべて失ったシチリア王は深く後悔し、改悛の日々を16年過ごした。
16年後、偶然ボヘミアの王子と出会い、恋仲になっていた捨て子のシチリア王女パーディタは身分違いの結婚を反対されてシチリアに駆け落ちする。パーディタの育ての親の羊飼いは、拾った娘が王女であるという証拠の品を持ってこれもまたシチリアまでやってきた。失くしたはずの娘がみつかり、親友のボヘミア王とも和解。そして忠実なポーリーナが創らせたというハーマイオニの彫刻を皆で見に行く。生きているような彫刻は、ほんものの王妃だった。王妃は死んではいなかったのだ。めでたし、ではあるが、王を諌め、王妃を護っていた賢く忠義なポーリーナの夫アンティゴナスが熊に襲われて死んでしまっているのはなんともかわいそうなことなのだ。

ケネス・ブラナーが監督、出演しているシェイクスピア劇の映画作品はいくつか観ている。映画としてもおもしろかったが、やはり舞台のシェイクスピア作品を観てみたかった。
私はシェイクスピアの作品が好きだ。知らず知らずのうちに劇中の名言、格言は心の内に積まれている。
高貴な人々、庶民、人ならぬ者、姿を現さない超自然的な力、それらを科白で描ききり、一定のスタイルに則って舞台が進んで行く。
その科白の韻律の美しさを、的確に再現するのはやはり英国の役者たちだろう。
決して広くはない舞台に、シンプルでモダンな装置が使われ、素早い場面転換。
大げさではなく、リアリティのある演技。
役者の容姿もそろっている。ハーマイオニーとパーディタ役は、ほんとの親子と見えるようだった。
こどもの頃《冬物語》の最後の部分、亡くなった(とシチリア王は信じている)妃ハーマイオニの彫刻をポーリーナが皆に見せる(実は王妃は生きていて、ほんものが彫刻のふりをしている)くだりを読んで、その場面を想像した。美しい王妃の彫刻は、木彫りにつやのある塗料で彩色したように見えたのかな…とか。紅く彩られた唇とか、細部を頭に描いてうっとりしていたのだ。ブラナーの舞台のハーマイオニは明るい色の長い髪に白いドレス、優美な立ち姿で、私の想像に違わないものだった。
そしてジュディ・デンチ演ずるポーリーナと、ブラナー演ずるシチリア王がやはり出色なのであった。ギャリック劇場に行って実際の舞台も観てみたくなった。

とはいえ、次の上映作品《ロミオとジュリエット》はたぶん観にはいかないと思う。
別のシェイクスピア作品がプログラムに入ったらその時は観に行こう。

ところで例の「熊に追われて退場」の場面。アンティゴナスはパーディタを捨てたボヘミアの野で襲われるのだが、なぜ熊なのか謎。あの辺りは熊がたくさん出るという認識がされていたのかな。