リュドミラ音楽・ひとり旅日記

Give every man thy ear, but few thy voice.

Pique Dame @Opernhaus Zuerich 03052014

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Conductor: Jiri Belojlavek
Producer: Robert Carsen

Hermann: Alexandrs Antonenko
Graf Tomski: Alexey Markov
Lisa: Tatiana Monogarova
Graefin: Doris Soffel
Fuerst Jelezki: Brian Mulligan
Tschekalinski: Martin Zysset
Surin: Tomasz siawinski
Polina: Anna Goryachova
Mashca: alexandra Tarniceru 

スペードの女王』by チャイコフスキー 原作はプーシキンの同名小説

あらすじ:18世紀末、サンクトペテルブルク。青年士官へルマンは夜会で会ったある良家の令嬢に恋をする。しかし身分違いは明らかだと嘆く。エレツキー公爵から自分の婚約者だときかされ、彼女の素性を知る。

友人トムスキー伯爵が、彼女リーザの祖母、伯爵夫人(昔パリの社交界でモスクワのヴィーナスと呼ばれてぶいぶいいわせてた)がカード賭博の切札3枚の秘密を知っていると話す。その秘密を引き出し、賭博で大金を稼ぎ、リーザと結婚しようと野心を持つヘルマン。お嬢なリーザはそういうあやしい男に心を惹かれなぜか恋仲に。仮面舞踏会にてヘルマンに自室の鍵を渡すという暴挙に出る。しかし思わぬ幸運に喜ぶヘルマンの目的は夜這ではなく、伯爵夫人からカードの秘密を聞き出す事。脅かされて伯爵夫人はショック死するし、恋人は自分じゃなくてばばあが目的と知ってリーザもショック。実際にカードの秘密を教えたのは、伯爵夫人の幽霊(あるいはヘルマンの幻覚)。この時点でカード情報にはトリックがあると知るべし。ヘルマンの潔白を信じるリーザの呼び出しに応じ、ふたりで遠くへ逃げようというところで突然ヘルマンは正気を失い、賭場へ駈けて行く。絶望したリーザは運河に身を投げる。カードで勝ちまくったヘルマンは最後にエレツキー公爵との勝負に負ける。3枚目の切札はすりかわってしまったのだ。彼は許しを請い、リーザへの愛を語りつつ自殺。

常に錯乱してて、いいとこなしの主人公なのだ。エフゲニー・オネーギンのほうがマシ。

 

上掲の写真は、2幕の最後、某家の仮面舞踏会にエカテリーナ女帝がご臨席という場面。

この演出では、仮面舞踏会の演し物としての仮面劇やバレエはカットされているし、女帝が登場といわれても「?」なんだが、ヘルマンの決意とある種の破滅の予感と高揚感が音楽とあいまってよく伝わってくるシーンである。

Robert Carsenの舞台らしく、装置は賭博台と椅子、大きな寝台。色は白、黒、グリーン。登場人物の衣装もほとんど黒と白だが、ヘルマンだけグレーで彼が異質であることを示している。人が集まるところ(公園、仮面舞踏会、賭場)すべて、賭場の装置で済ませてしまっても別段違和感はない。 リーザの部屋の場面は椅子だけ、伯爵夫人の場面は寝台だけにして、シンプルこのうえないけれど、情景は的確に描き出すことができる。
ただ、ヘルマンがピストル自殺して、舞台に横たわっている最終場面から始まるというのはよくある手法で、「またか」と軽く失望したのは本音。

私の席は3階のサイド前方で、オケピの上方だった。こういう席好き。

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ちょっと身を乗り出せば舞台は全体見える。後の列との段差があるので乗り出して後の観客に迷惑になることはない。

パフォーマンスについて。

Alexandrs Antonenkoは、破綻寸前のぴーんとはりつめた高音と、常に緊張感のある彼の声がヘルマンの性質と抑圧された立場を表現するのにうってつけ。ちょっときかん気を感じるシャープな風貌もぴったり。まったく魅力も同情も感じないキャラクターなのに、リーザが魅かれるわけがわかる気がする。正気の時の歌はそれほど魅力的ではなかった。

異常性があってこそ、この人の歌唱は生きると思う。
リーザTatiana Monogarovaは、可憐であった。ことさら大仰に歌うわけでもなく、シンプルに演じていたのだが、さすがUzh Polnoch Blizitsyaではそれまで抑制していたのかと問いつめたいくらい真に迫った歌唱を披露してくれた。ポリーナのGoryachovaは翌日の『サロメ』のヘロディアスの小姓役のほうが良かったと思う。

Doris Soffelの伯爵夫人。80歳という高齢女性というよりも、もと「モスクワのヴィーナス」、ということにしっくりする拵えで、歌唱と演技も艶があるからヘルマンと対峙する場面ではむやみにドキドキさせられた。もともと美人で、歌唱力も申し分ない。素晴らしい。この人の全盛期は見られなかったが、こういうところで見られたのはラッキーだった。

さてさて、問題はエレツキー公爵とトムスキー伯爵である。あんたたち、役が逆よ逆!
今回トムスキーを歌ったAlexey Markovは、マリインスキー劇場のアンサンブルで絶賛売り出し中のバリトンである。なんでもソツなく誠実に端整に歌うのが彼の持ち味である。
エレツキーを歌わせたら、たいへんにぴったりで上手いのだ。ところがところが、なぜかチューリヒオペラでは彼にトムスキーを歌わせた。ソツがないので、もちろんヘタクソではないのだが。  通常バスかバスバリトンが歌うから、かっこよくもあやしいバラッド<Odnazhdy v Versale>がおもしろいのに〜、と心の中でじたばたしていた。ちょうど今年の1、2月に新国立劇場カルメン』上演の際にエスカミーリョを歌って、好評だったDmitri Ulyanovのバラッドがあるから貼っとく。



曲自体は西欧を向いているチャイコフスキーの音楽だから、ドイツ風のすっきり手堅い演奏のオケは聞きやすかった。雑味がなく、舞台のシンプルさにも合う。
疲れたのもあって途中一瞬寝てしまった…。

カテコ写真。

写っているカードゲームのテーブル、これ女性もひとりでぐるぐる回したりしてた。
力仕事もさせられてたってわけだ。

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