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リュドミラ音楽・ひとり旅日記

Give every man thy ear, but few thy voice.

Vladimir Jurowski, 上演作品に関する解説1:神秘劇序幕について

ユロ兄のレクチャー*1 愛好家の皆様、お待たせいたしました。
先のエントリで言及したふたつのラジオ放送時、指揮者による作品の解説が演奏の前とインターミッションにありました。
珍しい作品と初の試みである演奏形式についてのお話で、内容の詳細を記録しておきたいと思いましたが、私のロシア語力ではきちんと聞き取ることができないため、ロシア語教室の先生に解読と翻訳をお願いしました。
たいへん興味深い内容なので、編集してこちらに記載します。翻訳をしてくださった先生からは私が文を編集して、当ブログに載せることに許可をいただいています。
無断転載はご遠慮ください。

 《神秘劇序幕》について(2015年5月17日の初演に当たって)

第一、第二、第三部、つまり作品全体は2007年フィンランドの指揮者、レイフ・セーゲルスタムの指揮によりヘルシンキにて演奏された。さらに90年代、ベルリン・ドイツ交響楽団により演奏された。その際ピアノ奏者はV.アシュケナージが勤めた。
私がピアニストのアレクセイ・リュビーモフと知り合った頃、ふたりともスクリャービンに大きな関心を寄せていた。そこでスクリャービン没後100周年記念に当たってモスクワ国際音楽会館にてスクリャービン作曲の例の《Предварительное действо》を演奏することを提案した。もちろん、時間の余裕がまったくなかったのは覚悟の上だった。
我々はそのような大作には少なくとも3−4ヶ月の準備作業が要るということを充分わかっていたのだが、しかたなかった。
《Предварительное действо》を全て演奏するということはワーグナーのオペラを演奏するに等しいと思う*2。ただし、現在モスクワのみならず、世界中でもその作品の演奏にふさわしい大劇場は存在しないと思う。
その作品はいわゆるミステリー、神秘劇であり、合唱や女声ソロがあるにも関わらず言葉(歌詞)はまったくない。それで、我々はその演奏を「セミコンサート形式」にすることを決めた。
我々は音楽作品そのもの、つまり楽譜とビジュアルパフォーマンス(カラー、照明)の調和を考えた。
作品の歴史を遡ると、スクリャービンが亡くなった後、ネムティンだけでなく他にもスクリャービンを敬愛した彼のファン等は「スクリャービン会」を立ち上げて、特に未完成の《Предварительное действо》に対して、大いに関心を持った。ミステリー的なものに造詣が深かったロシアの数学者でありながら正教会の司祭でもあったパーヴェル・フロレンスキー氏は「神秘的な法則」により、スクリャービンの例の未完成作品が33年後完成されると予言した。確かに33年後、アバンギャルド作曲家プロトポポフ氏はネムティンと異なる完成版を発表した(それはピアノ一台、朗読者一人、そして合唱からなる作品)。
いずれにしても我々にとってはスクリャービンが考えた神秘劇を完全に再現することは不可能だ。そのためにはインドのヒマラヤ山脈に行き、その空の下の「アンフィテアトルム、つまり楕円形劇場」で作品を演奏しないといけない。神秘劇は演奏者と観客という分類はない*3。全ての関係者は協力して劇に参加する。《Предварительное действо》という神秘劇には作曲家は予言者として多くの事を予想した。レオニード・サバネーエフ「スクリャービンの想い出」によると、スクリャービン自身はとてもミステリー*4 に興味があって、自分の死だけでなく、20世紀に起こるべき革命や世界戦争も予言した。20世紀に行きていて色々なことを体験した私たちは、その予言が的中したことがよくわかる。スクリャービンの神秘劇のリブレットにはその予言が反映されている。事実上、その作品はアバンギャルド式芸術作品である。芸術とミステリーの境界はまさに紙一重である。
スクリャービンは秘教的哲学者でありながら、世界的音楽において革新者でもあった。20世紀初期に、スクリャービンは音楽文化の「姿」ありさまを変えたと思う。
スクリャービンは長年かつ将来の音楽発展に道を拓いた。私が思うに、スクリャービンの最後の完成大作《プロメテウス》はストラビンスキーの《春の祭典》および、アルノルト・シェーンベルク《五つの管弦楽曲》と並んで、20世紀初期の音楽にとって重要な役割を果たしている。
さらにスクリャービンの作品がなければ、オリヴィエ・メシアンの音楽もシュトックハウゼンの音楽も、そしてミニマル・ミュージックもなかったであろう。
1970年に、A.ネムティンは非常な骨折りをしながら、スクリャービンの音楽意識に入り込み、まず《Предварительное действо》の第一部を完成させた。スクリャービン本人を直接知っていた同時代人でさえネムティンのその努力を認めた。「スクリャービン自身が作曲したかのような出来だ」と評価された。
ネムティン氏が全てを完成するまで26年かかった。その間、作曲家ネムティンも根本的な変化を成し遂げた。作曲すればするほど、ネムティンはスクリャービンスタイルから段々遠ざかっていき、スクリャービンが遺した55ページにもおよぶ未完成の楽譜をベースにスクリャービンの代わりに作曲することにした。ネムティンはスクリャービンの代弁者というよりもスクリャービンそのものになった。まるで、作曲家スクリャービンが20世紀の1980年乃至1990年に生きて音楽を作成したかのようだ。
《Предварительное действо》の最終部はもっとも長く、最も神秘的なものである。その部は音楽スタイルの視点からみれば、我々を今までと違う方向へ導いてくれる。
それはポスト・ミニマルミュージックとニュー・シンプルミュージックの間に位置を収めると思う。第一部は非常に複雑な構造があり、万華鏡のような作品である。
2拍子おきにテンポが変わり、構造、調和、メロディーの新しい要素が誕生する。
その第一部は例の《プロメテウス》を思わせるものである。ただ、22分間の演奏時間の《プロメテウス》に対して、第一部の演奏時間は40分間になっているという違いだ。
しかし、第三部は1時間も続き、その間我々視聴者は時間がぐんと伸びている1か2拍子の中にいるかのような感覚にとらわれる、このようなリピート・技法はアーグペルト?(M.F.さんのご指摘により、おそらくアルヴォ・ペルトのこと)やウラジーミル・マルティノフの技法に極めて似ている。
もちろんネムティンはミニマル・ミュージックとは何の関係もなかったのだが、スクリャービンとスクリャービンの思考方法を通して、彼は時間が大きくのびていくという驚くほど質素な表現方法にたどり着いた。サバネーエフはそれを「時間の流れが止まった、タイムストップ」と名付けた。
ネムティンは時代とともに生きていた。それはソビエト「帝国」の崩壊や第二次世界大戦後の出来事、とりわけベトナム戦争の終わり、プラハの春、そしてソ連軍のアフガン侵攻の時代で、それらはネムティンが作曲した悲劇的な終結部に少なからぬ影響を与えた。
付け加えて、ネムティンは唯一の女性歌手のため「死の姉妹」という役を考えた。しかし彼は実際にこの世には存在しない女声のための音楽を作ったのだ。
その役にチャレンジしたいくつかの例もあるのだが…。
問題はネムティンが「死の姉妹」の声をドニゼッティのランメルモールのルチアの声とワーグナーのブリュンヒルデの声を混合して考えて作ったが、それを実現させることは大変難しいことだった。我々は妥協して、その幻想的な作品らしくソロソプラノを2人の女声歌手に任せた。2人の声が極めて似ているのに対して其々個性豊かな歌手である。こうして原作の本心を失う事なく興味深い方針が出来上がった。その試みは原作のドラマチックな要素をみだしたかどうかわからないけれども…。
ソロの代わりに2人を使うことで、ひとりは命を平和をもたらす女性らしさを象徴するのに対して、もうひとりは死を象徴することになるという設定なのだが、まだ確実な考えまでには至ってはいない。我々はまだ模索の段階で、最終的な形については今はまだ語れない。
いずれにしても、その作品の演奏は40年に一度だけの大イベントとして終わらせたくない。我々の演奏により新たな伝統が生まれることを期待する。これからもより頻繁に、より多くのピアニスト、指揮者、オーケストラがこの作品を自分のレパートリーに取り入れることになれば幸いだ。
スクリャービンの音楽作品を聴くのには準備が必要だ。一般的に視聴者はどのように聴く準備が出来るかというと、それはスクリャービンについての本を読んだり、彼の音楽を何度も聴いたりするしか方法がない。スクリャービンの作品を聴きにくる人たちは、作曲家の世界と彼の思想を知ることが大切だ。単なる音楽として聴いてもよいのだが、ある瞬間に意識が疲れを覚えてしまう。しかし、音楽を聴きながら、作曲家が切り拓いた目に見えない道を歩めば、多くのことが見えてくる。それは魂が物質へ降りることや、そこへ没頭して悲劇的に脱落すること、そして逆に物質から魂へのぼってくることなど。
そのような作品の聴き方が大きな意味を持つと思う。我々は演奏してみる、そして視聴者がそれを聴いて評価をする。
とにかく、私はこの作品が前の作品よりも更に幸せで長く演奏されることを期待する。

翻訳:山崎タチアナ 文章編集:Lyudmila

《ボリス》については次のエントリに記載します。

 

*1:ご存知、ユロ兄は必ずといっていいほど演奏の前にレクチャーをします

*2:先のエントリの注釈に書いたとおり、スクリャービンの構想は七日間にわたるオペラなので、ここではリングチクルスのことを指しているのだろう

*3:すなわちこれがインタラクティブな作品ということであり、バイロイトのように専用劇場を構想していたと考えられる

*4:神秘思想のことかと思われる