リュドミラ音楽・ひとり旅日記

Give every man thy ear, but few thy voice.

アレグロで国境越え:ヘルシンキからサンクトペテルブルクまで

12/23にフィンエアでヘルシンキに飛び、中央駅近くのホリデイインに一泊。空港から駅までは電車で30分程。料金は5ユーロだった。
12/24は通常4便あるアレグロの運行は午前の1便のみ。

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フィンランド側からの切符の座席指定はできるが、ロシア側からはできない。結果的にはどちらも窓側の一人席だった。
一等座席はコーヒー、紅茶、水はセルフサービスでいつでも飲めるようになっている。出発してしばらくすると、5種類から選べる軽食と冷たい飲み物のサービスがあり、これも料金に含まれている。行きはサーモンのオープンサンドをいただいた。
そのうちフィンランドの出国手続きがあり、イミグレーションカードを渡される。

f:id:Lyudmila:20171229173028j:plain フィンランド側の国境駅バイニッカラ

ここで出入国の係員の交代があり、その旨の車内放送もされる。
なんとなく緊張する入国審査。ロシア美人のお姉さんが3人やってきてパスポート、ビザ、イミグレーションカードを検分。「ツーリスト?」「メガネはずして」彼女たちが話したのはそれだけ。何ごともなくパスポートにスタンプを押して入国カードをちぎり取って去っていった。
空港で行列しなくてもイミグレーションが済んでしまうというのは、とても便利だと思う。乗車時間は3時間30分。
私は旅の間ずっと以前から愛読している椎名誠の《シベリア追跡》

シベリア追跡 (集英社文庫)

シベリア追跡 (集英社文庫)

 

吉村昭の《大黒屋光太夫》

大黒屋光太夫 (上) (新潮文庫)

大黒屋光太夫 (上) (新潮文庫)

 

 を再読していた。
なぜか何度読んでも飽きないのだ。シベリア追跡は30年前のソ連。大黒屋光太夫のロシア縦断四万キロの旅は230年前の帝政ロシア。人間の本質や国、自然の有り様はたぶん変わっていないと思う。

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おろしや国への旅

前回のナポリ旅の時に「今年の遠征はこれでおわり」と書いていたが1回プラスになった。
今まで行くのを渋っていたサンクトペテルブルクへ行くことにしたのだ。
いろいろな人に「行ったことないのか」「行くべきだ」と言われていたが、一番のネックはもっとも重要な目的であるマリインスキ劇場のプログラムが当てにならないことだった。実は何度か検討したことはあるのだ。しかし予定キャストが*1直前に平気で変更になったり、あまつさえ演目が変更になることすらあるのでこわくて行けなかった。いわゆるドタキャン、ドタ出*2が激しいのだ。プレミエ演目も「現在稽古中のキャスト」として複数出ていたりするので、この人!というお目当てがいる場合はきっぷを買うのもギャンブルになる。
この頃はだいぶマシになってきたのと、本人に出演確認できたので*3いよいよ出かけることにした。

*1:キャストこそが重要

*2:行くには到底間に合わない

*3:わからない…と言うこともあるのでヒヤヒヤなのだ。ただ親分が指揮をするものであれば、よほどのことがない限り断ることはない、とはいえ親分が振るかどうかもかなりせっぱつまらないとわからなかったりする

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読売日本交響楽団 メシアン:歌劇「アッシジの聖フランチェスコ」びわ湖ホール 23112017

11月22日、Dmitri Aleksandrovichの訃報に接し、ほんとうに残念で悲しいです。ご家族近親の方はもとより、世界中の多くのファンに愛されている偉大な歌手です。ご冥福とともに、深い悲しみに沈んでいる方々のお心に平安がありますようにと心からお祈りいたします。

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Béjart Ballet Lausanne 魔笛 18112017

Maurice Béjartは10年前の2007年11月22日に亡くなった。
東京文化会館のロビーにはこのパネル(ネコかわいい)

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私も3年前に第九交響曲で久しぶりにBBLのパフォーマンスを見た時に、Béjartの存命の時とは変わったんだなと思っていたが、今回の公演でもそのような感想をよく見かけた。私はそれが悪いとは思っていない。
パフォーマンスのレベルは高いし、作品に対するリスペクトは感じる。
ただ求心力を失っているのかもしれない。ちょっと寂しい。
私はBéjartのダンスは、ストーリーを物語るものではなく、音楽を表すものだと思う。
だからといって超絶技巧の歌唱に対応して技巧的な振付をしているのではない。
音の表現する感情であったり、象徴的な事象を目に見える形で表現している。それが簡素な舞台装置とコールドと一体化しているように見え、演出自体優れたものだと思う。
物語は語り手である弁者に委ねられる。語りはフランス語。音楽の歌唱部分は、ベルリンフィルの音源をそのまま使用しているのでもちろんドイツ語だ。ジングシュピールの語りの部分は省かれている。
善悪二元論とフリーメイソンの教義と思しきものが、コンセプトとしてある。舞台の幕が開き、最初に現れるのは五芒星の中央に横たわる弁者の姿。ここでもうスピリチュアルな雰囲気満載なのだ。
☓十年前にテレビ放送で初めてこの作品を見た時の、パミーナの白いレオタードばかりが記憶に残っていて、全体を無彩色だと思い込んでいたので実際の舞台がクレーかカンディンスキーの絵画みたいだったのにはちょっと驚いた。
そしてまあ、なんとJulien Favreau*1 のザラストロがすてきだったこと。オペラの《魔笛》の主役もザラストロだと思っているので、我が意を得たりってとこかな。
こういう舞台では、オケ付きでなく録音を音楽として使用する。私も生オケのほうがいい*2とは思うが、そういうもんだとすれば気にはならない。再生環境がいいところで、優れた演奏の録音であればそれなりに聴けるし。
コンテンポラリーの作品の場合、表現が優れていれば音源はあまり気にならないということもある。
とにかく久しぶりにBBLの魔笛に会えて、よかった。

 

 

*1:この人出てくるとやっぱり舞台の雰囲気が一変するのだ

*2:ロシアの劇場なんかはオケ付きで来るので、比較的クラオタ率も高い

オペラのドレスコード?

新国立劇場がバイラルマーケティングを始めたのかと思った。
バズったのはこちら(炎上というには気の毒だし

togetter.com

新国立劇場さんが後でツィートなさっていたとおり、運営サイドとしては撮影に劇場を使用されたのでご紹介というのがほんとのところだと思う。
なにもこんな恰好で入場しないといけないとか、お客にはこのようにドレスアップして来てほしいと(たぶん)のお考えではないだろう。
劇場によく行っている人々は、観客や自分がこのような服装をしていないということはよく知っている。失敗は、これから行こうとちらっとでも考えた人に対して思い切り敷居を高くしてしまったことだ。
そのため「実際にこんな服装の人はいない」と、いう意見が続出したのだと思う。
逆にいいところもあったと思う。ここからちょっと興味をひかれた人々も少なからずいただろう。なんにせよ、名前とやっていることを知られなくては、劇場もオペラも認知度は上がらない。
私がこれはもしかしたらバイラルマーケティングかと考えたのは、そういうことだ。

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ウラジーミル・ユロフスキ&ロンドンフィル来日記念!再掲

いえ、たいしたことじゃないんです。せっかくユロ兄が初来日してるのに、なんかプログラムに必ずピアノコンチェルトが入ってて、ピアニスト(まったくファンの層が違う)の影に隠れちゃってるので、以前のユロ兄レクチャー記事を再掲してみます。
ユロ兄のチャイ5、かっこよかったですよ!

 

lyudmila-galahad.hatenadiary.jp

 

 

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Fidelio at Teatro di San Carlo 25092017

同公演2回目の鑑賞。席は平土間前方下手側。舞台をちょっと見上げる格好になった。ステージ付きも楽しいが、この作品はコンサート形式の方が合っているような気がする。舞台設定がはっきりしていて、視覚に頼らなくても情景を思い浮かべることができるからだ。これはワーグナーの楽劇にも通じる、音楽の雄弁さだと思う。
前回と変わらず、ドラマチックに語られるレオノーレの心の声。マルチェリーナへの優しい気遣いや、夫を救うという固い決意と不屈の精神がきめ細かに表現されていた。
Metha師の采配のもと、このソリストチームは素晴らしく、各々役の個性にぴったりと見えた。

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